第十七章 痘瘡腎部無熱症の論




痘瘡の病は往古にはなく、後世になってこの患いがあります。一説に痘症は、東漢〔訳注:後漢〕から始まったとされ、また周末秦初からこれがあるともされていて、正しい説はまだわかりません。

痘病が発症した初めは、諸蔵の熱症を現します。必ず先ず顔が乾き、(えら)〔訳注:あご〕と眼胞が赤くなります。咳嗽しクシャミをするものは肺の熱症とします。あくびをして煩悶するものは肝の熱症とします。熱くなったり寒くなったりして足がやや冷えるものは脾の熱症とします。眠って驚くことが多いものは心の熱症とします。このように肺脾心肝の熱症があるのに腎の熱症だけがなく、腎の部の耳および臀部は反って冷えているのはどうしてなのでしょうか。

そもそも痘瘡はすべて胎毒から生じています。その原因はもともと腎にあります。外邪に誘われたり、飲食や驚動に引かれて、胎毒の熱邪が腎を出て四臓におよび、痘瘡が出現します。腎は胎毒の宮です。今腎を出て四臓におよんでいるわけですから、腎の胎毒は留守になっているので、腎の部位には熱候はないわけです。もし腎の部位に熱候があるものは重症です。胎毒がまだ本室から出尽くしておらず留着しているところがあるためです。







門人が聞いて言いました。その胎毒と何なのでしょうか。

答えて言いました。父母が淫乱で下焦にある熱毒を受けたり、母が懐妊の十月の間に不養生をして、その熱毒を受けて生まれたものすべてに胎毒があるとします。ですから往古には胎毒は稀で痘瘡の病もなく、小児の病も多くはありませんでした。このため《素問》《難経》に小児の方脉が掲載されていないのでしょう。

古は道徳の世で、男女が妄りに陰事をし過ぎることがなく、妊娠中の婦人も厳密に養生を守ったため、生まれてくる子にも胎毒がなく病も少なく壮健で長命だったのです。後世、道徳が日に日に薄くなり、淫欲が盛んになって、修養を失ったために、胎毒が盛んとなり、小児の病が多くなり、短命になったわけです。父母となるものは謹まなければなりません。



一元流
医学切要指南 前ページ 次ページ