太極





言葉の発生する以前の混沌が太極であると述べました。太極は存在するものたちがその生命をせめぎあっている混沌とした状態ですが、聖人はこの混沌として存在するものたちの真っ只中にありながらそれらを見極める姿勢として、完全な明澄な眼差しである太虚という位置を喝破しました。これは、個々の存在にとらわれることなく、あらゆる存在の声に耳を澄ましながらそれらを名づけていくための、確固不動の、かつ絶対無私の心の位置を確立したということです。これはまた、生という混沌状況の以前に絶対的に存在している死をもって、根本とする姿勢であるとも言うことができるでしょう。

死の静寂から生を眺めます。この混沌たる生命のせめぎあいを太極といいます。朱子は、この太極の伝統的な解釈法を用いて天地の理を解き明かします。臨床家は人身を一小天地、すなわち太極として把握しなおし、この太極の伝統的な解釈法を用いて人身の生理や病理を解き明かします。これがつまり、人身は天地のホログラムであり、人身は一小天地であるということの意味です。

宋代に、太極図という、存在の俯瞰図が現れました。周濂溪(1017年~1073年)がこれをとりあげて解説を加えていますが、もともとは道教の仙人が表わしたものであると言われています。この太極図は宋学の基礎となり、宋学(中世における理論的な完成度のもっとも高い儒教)の完成者といわれる朱子(1130年~1200年)はこれを、《近思録》という書物の〈道体論〉という章でとりあげています。

儒教という言葉を聞くと、封建思想を支えた使い古された思想であると思われる方もおりますでしょうが、宋学あるいは朱子学とも呼ばれるこの儒教は、それまで存在していた儒教・仏教・道教を統合した、宋代のもっとも革新的な思想です。これが宋学と呼ばれているのはこのためで、最終的には儒教に帰一していきますが、その求道の過程で禅におぼれ仙人にあこがれその修行を行うといった、思想的実践的な変遷を多くの宋学者が経ています。ちなみに、三百年後にこの儒教(宋学あるいは朱子学と呼ばれ、官学となり、科挙の必須項目となった学問)を、世界の外側から眺める観察者としての理論から、世界内に存在している自己の練成の理論として再興させた王陽明(1472年~1529年)も、同じような求道体験をもっています。











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