太極図説





太極図はこの東洋思想が読み取った聖人の世界を解釈する上で中心的な地図をなしています。しかしこの解釈には多くの異論を私はもっていますので、図そのものの中から気一元の理の下に解釈しなおしていきます。

存在するものたちがせめぎあっているこの混沌とした世界、言葉の発生以前の世界を太極とします。これは、ひと括りの存在そのものをただ見、その存在の声を聞くという聖人の行為の初発の姿勢を示しています。そして、この太極を別名、気、といいます。気というのは、何かわけのわからない不可思議な魔術的な現象を表現する存在なのではなく、そこにひと括りとしてあるものを、ありのままに眺めた、個別にその部位を名づけていく以前の状態のことです。現在巷で不可思議な言葉として使われているものとは全く異なることに注意してください。

気一元の医学とは、このありのままの生命の動きをありのままに眺めていくという決意をした医学です。






《近思録》〈道体篇〉には、この太極図の解説として周濂溪の言葉を掲げています。今、中国古典新書:明徳出版社刊《近思録》における山崎道夫氏の読み下しに従ってその言葉を眺めてみましょう。

『無極ながらにして太極なり。太極動いて陽を生ず。動極って静なり。静にして陰を生ず。静極って復た動なり。一たびは動一たびは静、互いにその根(こん)と為り、陰に分れ陽に分れて、両儀立つ。陽変じ陰合して、水火木金土を生ず。五気順布して、四時(しいじ)行はる。五行は一陰陽なり。陰陽は一太極なり。太極は本と無極なり。五行の生ずるや、各々その性を一にす。無極の真、二五の精、妙合して凝り、乾道は男(だん)を成し、坤道は女(じょ)を成す。二気交感して、万物を化生す。万物生生して変化窮まりなし。』

周濂溪はこのようにこの図を、発生論的に把握しているわけです。時間差をおいて徐々に、太極→陰陽→五行→万物の生生というふうに起ってくると読める考え方です。











一元流