治療の際、命門と腎の元陰元陽を補うことを重視した。 |
彼は《伝忠録・命門余義》のなかで次のように述べている。
『命門は精血の海・脾胃は水穀の海であり、ともに五臓六腑の本であ る。また命門は元気の根・水火の宿るところであり、五臓の陰気 は命門によって滋養され、五臓の陽気は命門によって活発に機能 していく。脾胃は中州の土であるけれども、火がなければ万物を 生じさせることができない。・・・(中略)・・・命門の陽気も、 それが下にあるがゆえに脾胃の母となりうるのである。私はこの ことを『脾胃は潅注の本であり、後天の気を得る、命門は化生の 源であり、先天の気を得る。脾胃と命門との間には当然その本末 先後がある。』と語った。』と。
また、『命門は門戸であり全身 を強固にする関鍵となるところである。・・・(中略)・・・北 門の主は腎であり、腎を動かすものは命門である。いわば命門は、 北極星の中心となる星であり、陰陽の中枢を司るものである。』 とも彼は述べている。
このような観点に基づいて、命門と腎を補 益することは脾胃を補益することよりもさらに重要なことである という論を彼は立て、その治法上も補腎を最も重視し、脾胃を補 益することはその次の問題であるとした。
《類経附翼・求正録・ 三焦包絡命門弁》において彼は、『命門と腎とはもともと同一の 気である。・・・(中略)・・・命門は両腎を主り、両腎はとも に命門に属する。そのゆえに命門は水火の腑・陰陽の宿るところ ・精気の海・生死の宝なのである。もし命門が虧損していれば、 五臓六腑は全てその拠り所をなくし、陰陽の病変が次々に起こっ てくる。』と論じ、命門が人体の生理上も生命活動においても重 要な地位と特殊な作用を有するものであると考え、命門も腎も同 じ気同じ作用であるかのように密接に関係しあっていると断じた。
彼はこの説に基づいて、命門を補うためには腎を補い、腎を補う ためには命門を補益するべきであると、強調しているのである。
命門が元気であり元精であり、かつ真陰であり真陽であるという ことは、治療上においても非常に深い意義がある。
彼が命門につ いて、『水火の府であり陰陽の宅である』と語っているのは、ま さにこの意味なのである。ゆえに『命門の火はこれを原気といい、 命門の水はこれを元精という・・・(中略)・・・この命門の水 火はすなわち十二臓の化源』なのであり、命門は『天一の居する ところ、すなわち真陰の府であり、ここに精を蔵す。この精はす なわち陰中の水であり、気はここにおいて化される、すなわち気 は陰中の火』《求正録・真陰論》であると論ずることができ るのである。
さらにこの『水中の火は先天の真一の気であり坎水 の中に蔵される。この陽気は下から上に上って後天の胃気と交わ って化す。これが生生の本となるのである。』《伝忠録・命門 余義》として、命門が水火の二気を蔵しているということから、 命門が臓腑の主であり、生命を司る物質的な基礎であるというこ とを、ここに明確に語っている。
この命門の水火の間にも偏勝偏衰が起こるが、これは陰虚陽虚・ 水虧火衰の病変として表現すべきであり、治療上においても実熱 邪火の証と混同しないよう注意しなければいけない。
このことに ついて景岳は、『もし陰が下に盛んなものは、本来の陰盛ではな く、命門の火の衰えである。陽が標に盛んなものは、本来の陽盛 ではなく、命門の水虧である。水がその源に虧すると、陰虚の病 がとたんに出現し、火がその本に衰えると陽虚の証がとたんに出 現する。』と示し、さらに、『無水無火はみな命門にその原因が ある』《求正録・真陰論》としている。
このような病理や証 候の考え方について、彼は王冰の『これを寒やそうとする場合、 〔訳注:安易に〕寒やしてはいけない、そこに水がないというこ とを問題にすべきである。これを熱しようとする場合、〔訳注: 安易に〕熱してはいけない、そこに熱がないということを問題に すべきである。』という有名な論を尊崇し賛同している。
そこで、 元陰元陽を補益するための治療法則は、『水主を壮んにするには 陽亢を制し』、『火の源を益するには陰翳を消す』ようにすべき であると主張しているのである。
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