難経鉄鑑 叙由2




答えて曰く。我が国の国風は、質素の一字によって治められてきました。そのため、文字といったものは伝えられませんでした。神代の昔、我が国にも少彦名すくなひこな〔訳注:国造りの二神のうちの一人〕・大己貴おおなむち〔訳注:大国主命(おおくにぬしのみこと):国造りの二神のうちの一人〕の二神が存在されて、医道によって広く衆生を救っておられました。しかしその時代には文字がなかったため、その術を代々伝えることはできませんでした。しかし今の医流の中に、家方や秘剤と称しているものの一部は、おそらくはその教えが僅かに伝え遺されたものでしょう。私はこの二神から隔たること千万年の後に生まれていますが、このような開国当初の神皇の霊徳は、異邦の聖帝や哲王〔訳注:すなわち中国の聖人・皇帝〕といかほどの差があろうかとひそかに考えております。

何故かというと、我が国は、三種の天宝〔訳注:三種の神器〕を伝えて皇統〔訳注:天皇制度〕を建て、百王を経ても動ずることもなく崩れることもないからです。このような我が国の国体が長久であることは、天地の長久であることと同じであると言えるでしょう。我が国家は、文学〔訳注:華やかに飾りたてた学問のこと〕によらなくとも自然に治まっており、我が国の民衆は、教令〔訳注:様々な教示や政令〕が下らなくとも義を知っております。これこそは神皇の余化〔訳注:天皇陛下の影響力〕に自然に感応したものなのではないでしょうか。

さらに我が国の諸家の芸や工芸技術をよくみてみると、その精密さは遥かに中国などの異邦のものに優っております。このような国民性から考えても、かの二神の医術が、扁鵲の医術に劣るはずがないと思われるのです。

また我が国の上古の人々は非常に長寿であって、多くは百歳をこえまた数百歳を重ねる者もいたということです。この事実は、我が国がまさに蓬莱〔訳注:神仙が住むと言い伝えられている場所〕の国であり、神仙が居住する地域であるということを、間違いなく証明しているものでしょう。

このような我が国は中世、中国などと交易を行ない、その文物を皆な朝廷に納めることとなりました。その時から我が国の文質は彬彬ひんぴん〔訳注:備わり調うこと〕となったわけです。

後世になって我が国の文〔訳注:飾り〕が徐々に質〔訳注:本質〕に勝るようになったため、長寿の者が少なくなり、病気をもつ者が日々増加してきました。

我が国の教えは、このような時期にはすでに失われ伝えられていなかったため、他国の書物を用いて病気を治療することとなりました。

私がそのような他国の書物を読んだ中で、この《難経》に優るものはありませんでした。そのためここに、《難経》を特に選んで、解釈を試みることとなったわけです。

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