十二経にはそれぞれに全て動脉がありますが、寸口だけをとって五臓六腑の状態を観察し、死生吉凶の判断をする法とするのは、何故なのでしょうか。



ここでは、人体内部の五臓六腑はただそれ単体として存在しているのではなく、互いに関係しあっているばかりか、それぞれに特徴的な生命波動をもち、それを放出することで人体を構成しているのであるということを、まったくあたりまえの前提として議論しはじめています。

この臓腑固有の生命波動は、体内にある支配野をもっていると東洋医学では考えています。さらに驚くべきことは、その支配野は、川のような流れをも有しているという発想をしているのですね。これを名づけて、経絡と呼んでいます。

この驚くべき概念である経絡というものを考え出した古人は、ただ理論的な妄想によってこれを考え出したわけではありませんし、また、現代医学を構成する前提となっている解剖をしていなかったわけでもありません。

現代医学では主として死体を解剖し体内の状態を肉眼で見、正常な体内の状態というものを構成したうえで異常なものを病気と名づけ、この病気を発見しそれを正常な状態に近づけることが病気を治療することであると考えています。そのために手術や投薬という治療行為を成立させているわけです。

これに対して東洋の古人は人体に対して異なったアプローチを考えたのです。肉眼で見えるものだけが存在するものなのではない、というこのアプローチは、生命そのものを成り立たせている生命力そのものに着眼します。解体した人体をふたたびくっつけても、そこに生命がなければ生きることはできないというこの、少し考えてみれば当たり前の発想を前提として、古人は解剖実践に基づきながらもそれを超越した独特の医学を作り上げてきたわけです。

ですから、臓腑というものもとうぜん、他の人体と切り離されて存在するものではなく、また、その重要性から見て他の人体各部を支配する中核として、筋肉や骨といったものを統括する、より上位の概念として、抽象化して、把握されることになりました。





脉診についていえば、《黄帝内経》においては、人迎気口診という頸部と腕部の脉の大きさを比較する脉診法と、全身を上中下に分け、そのそれぞれをさらに上中下の三部位に分けて行う三部九候診が中心として語られています。

【難経】ではこれらのことをすでに前提となる、あたりまえの事実として踏まえながらさらに、その臓腑の生命力の状態を見る簡便な方法があると主張しているわけです。驚くべきことです。このような屋上屋を重ねるような発想、いったん抽象化して把握したものを前提にしてさらにそれを抽象化する発想が、許されるものなのでしょうか。

現代の物質を基本とした科学思想に毒されている我々は、この言葉を理解するために乗り越えなければならない大きな壁があります。

それは、ひとつには、生命はおのおの関係性の中で存在しているということ。そこには定められた〔注:縦軸としての〕位置、〔注:横軸としての〕支配範囲があるということ。すべての固体は気の流れの中で生まれては消えていくという生命観。そして、固体はそれぞれの生命波動を発しており、それらが相互に関係しあいながらさらに大きな一つの生命場を作っているということ。このような大きな考え方がすでにここで前提とされているということは、東洋医学に東洋医学としてかかわる人間にとって、深く反省を促すものであるといえるのではないでしょうか。

さらに今少し語ることを許されるならば、この生命場というものは、そのそれぞれもまたさらに大きな生命場を構成する要素となっており、つきつめるとそれは宇宙場までゆきつくということになります。

しかしここまで言ってしまうと、伊藤仁斎的な「日常の瑣末」を離れた議論になってしまいますので、後半の宇宙論の部分には触れないことにしましょう。

ともかく大切なことは、一つの人体を構成している五臓六腑それぞれに固有の生命波動があり、それらが絡み合うことによって人体というものはできているのだと、このような発想が東洋医学の大前提にあるということです。





話を《難経》に戻しましょう。

《難経》においてはこの東洋医学の大前提を当然のこととした上でさらに、『寸口だけをとって五臓六腑の状態を観察し、死生吉凶の判断をする』ことができると断じているわけです。拇指球の下の動脉拍動部で、人体すべてを主っている臓腑の状態を見てしまおうというのですから、なんて大胆な発想なのでしょう。もしかして、デタラメな思いつきなんじゃないのという声も聞こえてきそうです。

臓腑の生命波動が全身を構成しているのだという発想そのものは、上記の私の説明でかなり理解しやすくなったのではないかと思いますが、今度はそこからさらに一歩を進めて、一つの動脉拍動部にその臓腑の状態すべてが現われているなどということを言い出しているのですから、そこには何か、かなり説得力のある説明がなければなりません。《難経》ではこれをどのように乗り越えているのでしょうか。

《難経》では、《霊枢・五十営》の記載と同じように、それぞれの臓腑を貫いて循環する生命力の流れである経絡は、それぞれの臓腑に出会うごとにその表情を変えながら(それぞれの臓腑の生命波動を受けてその表情を変えながら)全身を昼夜で五十回流れる。そしてその流れの始まりであり終わりである一点の部位として寸口があるのであるから、ここで全身の臓腑の状態がわかるのだと断定しているわけです。

古典、驚くべしであります。






これではとうてい説得力がないために、古来さまざまな解釈がここの部分になされてきました。その一つは、さらに古い古典である《黄帝内経》に根拠を求めるものであり、もうひとつは、もうちょっと説得力のある説明を臓腑経絡学を使って求めようとする姿勢です。

というのも、実際的な話、このようにして寸口の脉診を行うことで、臓腑の生命力の状態がけっこうよく見えるじゃないか、もしかして《難経》って、これ正解なんじゃないの?という思いが、臨床を通じて積み重ねられてきたため、もう少ししっかりした裏づけが必要になったからなのでしょう。

歴代の《難経》の解説書をひもといてみると、《黄帝内経》の説明に依拠したものがほとんどです。それをこえて、《三部九候論》にその根拠を求めてみたり、数理にそれを求めてみたりしているものは《難経鉄鑑》が嚆矢となります。《黄帝内経》は、実は、さまざまな四診のうちの一つとして脉診をあげ、さらにその脉診も、三部九候診と人迎脈診を中心としているということは、先に述べたとおりですので、《黄帝内経》だけに《難経》の寸口の脉診の根拠を求めるのは、《黄帝内経》を書かれた古人の本義を失うことになるのではないかと、私には思えます。





ここでは《難経鉄鑑》の補完として、《黄帝内経》から引っ張ってきたものを集めてみました。


☆【素問・経脉別論二十一】食物が胃に入ると、消化された精微は肝に散じ、全身の筋を潤し養います。また、同じように食物の気は心に帰り〔訳注:原著はこのようになっていますが、これは脾の誤りではないかという説のほうが現代中国では主流です〕血脉を潤し養います。この脉気は経絡に流れますが、その経絡の気は上に肺に帰っていきます。肺はこのようにして百脉を集め、その精微を全身の皮毛に運びます。脉気と精気とが合して六腑に流れ、六腑はその津液を化して神を生ぜしめ、それを心肝脾腎の四臓に留めます。そうすると、気はバランスがとれるようになり、気のバランスがとれると、気口の脉は一寸のうちに治まり、ここにおいて、死生を判断することができるようになります。

☆【素問・五蔵別論十一】黄帝は問うて言われました、「気口の場所でなぜ五臓の気を候い知ることができるのでしょうか?」岐伯は答えて言いました、「胃は水穀の海であり、六腑の大源です。五味は口から入り胃に蔵されて五臓の気を養います。気口は手の太陰であり、五臓六腑の気はすべて胃に現われ変化して気口に現われます。」

☆【素問・玉機真蔵論十九】黄帝は問うて言われました,「真臓の脉状が現われるものは死ぬといわれていますがどうしてなのでしょうか?」岐伯は答えて言いました、「五臓は皆な、その気を胃から受け取っていますので、胃の気は五臓の大本なのです。五臓の気は自らの力では手の太陰まで到達することはできません。胃の気の力を借りることによってのみ、手の太陰まで到達することができるのです。このため、五臓はそれぞれの季節に手の太陰まで到達するのです。」

〔注:この篇では、四季に感応して旺ずる四季の脉状について述べていますので、このような表現になっています。〕

☆【霊枢・経脉十】雷公は問うて言われました、「経脉と絡脉との違いはどうやれば知ることができるでしょうか」黄帝は答えて言われました、「経脉は普通の状態では見ることのできないものです。その虚実は気口を通じて知ることができます。脉としてみることのできるものはすべて絡脉です。」

〔注:ただし、この篇は、人迎気口診についても述べられています。〕

☆【霊枢・動輸六十二】黄帝は問うて言われました,「経脉には十二種類あります。その中で、手の太陰・足の少陰・足の陽明だけが休まずに動いているのはどうしてなのでしょうか。」〔注:太谿・太淵・人迎・衝陽を指す〕岐伯は答えて言いました、「これは足の陽明の胃経の脉と関係があります。胃は五臓六腑の海であり、その清気は上に肺に注ぎます。肺気は太陰肺経の経脉に従ってめぐります。そのめぐり方は、呼吸と対応しています。このため、呼気のときに脉は二回搏ち、吸気のたびにまた脉は二回搏ちます。生きているかぎり呼吸が止まることがないので、脉も止まることなく搏ち続けるのです。






本間祥白の、《難経の研究》〈医道の日本〉では、この一難をまとめて、『五臓六腑は勿論全身諸器官の状態から死生吉凶まで凡ての診察を此の寸口の部で行うことが可能である。』と語り、また、《難経解説》〈東洋学術出版社〉では訳本であるにもかかわらずこの難の要点として、『脈診では、ただ手の太陰の寸口を取るだけでよい、という原理を説明している。これは『難経』が切脈法においてなした一大発展である。また、寸口が営衛血気の循行する発着点であり、五臓六腑と非常に密接に関係することから、「ひとり寸口にのみ取る」根拠を述べている。』と、あたかも寸口の脉診をするだけで五臓六腑の気が手に取るように理解できるととれる表現を用いています。

これに対して、《難経解説》と同じと思われる南京中医学院のグループの難経研究書である《難経校釋》〈人民衛生出版社〉にはていねいに、『《難経》で提起されているこの『ただ寸口だけを取る』という方法は、現在でも臨床においていつも用いられています。その実践によって証明されていることは、診察の方便としてこの方法が使えるだけでなく,、診断根拠の一つとしても使えるということです。しかし当然、四診は必ず合参して用いられなければいけません。また、単に寸口の脉診だけで死生吉凶を判断することはできません。もし必要であれば、全身の三部九候の脉診法も関連づけて診断するようにしなければいけません。』と述べ、寸口の脉診だけに頼り切ることを厳しく戒めています。

こんなところにも、中国系の《難経》の読み方と、日本系の読み方の違いが垣間見ることができます。







2000年 6月25日 日曜   BY 六妖會




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