《難経鉄鑑》におけるこの難の解説をまずまとめておきます。

尺位の脉状は寸位の脉状に比べて正常な状態であっても少し沈んでいる。 太過不及の段階ではまだ、寸尺は関によって分かれている。

尺の不及:陰衰:少し浮く〔鉄鑑〕≒寸の太過:さらに浮く?〔伴〕→内関外格=覆:陰が陽に負けている=陽乗=尺位の脉がその場所を離れて尺沢のほうまで退却している:陽邪が陰を押しつぶそうとしている姿

尺の太過:陰盛:さらに沈む〔鉄鑑〕≒寸の不及:少し沈む?〔伴〕→外関内格=溢:陰が陽に勝っている=陰乗=魚にまで脉があふれている:陰邪が陽を追い出そうとしている姿

太過と不及は「変」であり「病脉」:寸尺の部位で脉をまだ触れる:五臓の病証がある

内関外格(覆の脉状)外関内格(溢の脉状)は「変の極み」であり「死脉」:寸尺の部位に脉が触れることはない:三陰三陽の絶候と昼死ぬか夜死ぬかの区別がある。このことについて詳細は、第二四難に記載されています。



ということは、寸尺で脉が触れている状態は覆溢にまではいたっていない、つまり、胃の気がまだある状態であると《難経》では考えているということを意味しています。このことは、また、寸尺で脉が触れているのであればまだ治療可能であると、《難経》では考えているということですね。これに対し、覆溢となっている状態つまり、寸尺で脉が触れない状態になっているのであれば、これは胃の気がなくなってきている状態であり、逆証であるということが、《難経》では語られていると、そういうことを意味しているのだと考えられます。







次に、歴代の注釈について少しあげておきます。



元代の滑伯仁は、『魚にまで上ったものを溢とし、』という部分の『にまで』にあたる文字『遂』という文字の重要性を述べています。『遂とは、隧道(トンネル)のことである。トンネルをまっすぐに前に進んでいく。謝氏〔伴注:元代の謝晋孫か。《難経説》という著書(現代には残存していない)あり。〕は、遂はまっすぐに上りまっすぐに下ることであり、行ったり来たりすることではないと述べているが、まことに言いえている言葉である。』と。現代の凌耀星さんはその著《難経校注》で、『さらに続いて』というほどの意味であるとしています。

古典を読む時は、漢字が並んでいる塊に対して、一字づつ解釈しながら意味を組み立てていきます。そこに、読み手の「こう読みたい」という思いというものが入る余地が出てくるのでしょう。そこで、『遂』という一字に対しても、それを重視するか否かで解釈に相違が出てくるわけです。私の現代語訳は、広岡蘇仙の解釈にしたがい、あまり重要な意味を持たせないよう注意して訳してあります。これが滑伯仁の解釈にしたがうとすれば、『魚にまで一気に上ったものを溢とし』という風になりますね。

江戸時代末期の丹波元胤はその《難経疏証》で、この難の大旨は、尺寸を診る事によって、陰陽が互いに乗じていることを見極め、それに基づいてさらに、病状としての関格の病を察する、ということであると述べています。関格の病状については、第三七難に詳細な解説がなされています。

関格という言葉を脉状にあてはめ、覆溢の脉状の別名として使った人もいたのですが、そうではなく、関格という「病状」を表わす脉状が、覆溢と呼ばれている「脉状」なのだと丹波元胤は語っているのですね。

また、丹波元胤は、『《傷寒論》〈平脉法〉に曰く。寸口の脉が浮で大。浮は虚であり大は実である。尺にあれば関であり、寸にあれば格である。関であれば小便をすることができず、格であれば吐逆する。これはこの難を基にしさらにその症状を明確にした言葉である』と述べています。

《傷寒論》は《難経》をその参考書の一つにしているということは、《傷寒論》の序文に書いてあることなのですが、内容的な方面から、丹波元胤はそれをここで確認しているわけです。
《傷寒論》が単に《難経》の焼き直しではなく、それをさらに発展させて実際の症状にまで結びつけているところなど、《傷寒論》の著者、張仲景がいかに実際の人を見て古典を理解しようとしていたのかということを垣間見ることができます。その精神の自在さ古典に対する愛情、今の我々は持っているでしょうか。


元代の滑伯仁は、第二十難の伏匿の脉状との違いを、伏匿はまだ病脉の段階であり、覆溢は死脉の段階であるとして区別せよと提示しています。また、一難と二難とは陰陽の「常」を語っており、三難では陰陽の「変」について語っていると述べ、この三つの難はあわせて考えないといけないと指示しています。

「常」と「変」。おもしろいですね。





現代の本間詳白による《難経の研究》では、『寸部は陽位であるから浮脉が表れ尺部は陰位であるから沈脉が表れるのが常脉である。』と冒頭で述べていますが、これは、断じすぎと言わなければなりません。寸位と尺位とを比較した時、やや浮き加減やや沈み加減にみえるという表現に直して考えるべきでしょう。



また、彼は、この説を敷衍して、「脉位としての太過は九分或いは一寸を乗り越えて他の領域を侵した事になるし、脉状としての太過は浮が甚だしい沈が甚だしいと解される、不及は九分或いは一寸に満ちず且つ余り浮でない、余り沈でないと解される。」としていますが、これはいかがなものでしょうか。ここまで語ってしまっていいのかどうか。彼はこの説を《難経大抄》の評林〔伴注:《難経本義大抄》か、1678年森本昌敬齊玄閑〕の解釈によっているとしているのですが、その解釈には『太過は実大、不及は損小』としか述べていないと本人の筆によって書かれています。これに浮沈を加味する姿勢はすこし理屈に勝ちすぎ、《難経》の本義を逸脱しているのではないかと私には思えます。

理詰めで考えるということはなかなか楽しいことです。けれども、実際に患者さんを見ている中からその理論を点検するようにしないといけませんね。
原文で述べられている範囲を越えて自説を原文の解釈として挿入しようとする人、現代でもよく見かけますが、古典(古人の心)を愛するものにとっては、残念なことであります。






ある勉強会での説。覆溢の脉状について。



現代中医学の教科書を翻訳したものである《難経解説》と《難経鉄鑑》では、陰乗の脉(溢)においては尺位に脉がなく、陽乗の脉(覆)においては寸位に脉がないと言っている。これに対して《難経の研究》では、陽乗の脉では寸尺ともに浮き、陰乗の脉では寸尺ともに沈むといっているがこの説には納得し難いものがある。
このことは上に私も書いております

また《難経解説》の〈解説〉では、『いわゆる外に関(と)ざされ内に格(はば)まれる、内に関(と)ざされ外に格(はば)まれるとは、覆脈溢脈ができる機序をいっており、人体の陰陽の気が隔離されて、「陰陽離決」の状況になっているのである。』と述べているが、陰陽離決の脉状とは、脉の求心力と遠心力との関係が狂ってくる状態のことであり、七死脉などを呈すると考えるべきなのではないだろうか。

このことは難しいですね。覆溢の脉を本当に見たことがあるかというと、実際のところはないわけでして、末期の患者さんを扱っている病院でそれが見れるかというと、点滴や投薬などをしているのでやっぱり自然な病脉とは違ってきます。ホスピスなんかどうだろうという話も出ましたが、はてさて。。。チャンスがあるでしょうか。。。

陰乗の脉は【陰の陽の気に乗じて攻め上った脉】であり、陽乗の脉は【陽の陰の気に乗じて攻め下った脉】と説明される。
この定義における陰陽とは、陰臓陽臓の陰陽であり気血の陰陽ではない。
そりゃ、当然ですわな

真臓の脉は臓気の絶した状態である。
うんうん

つまり陽乗の脉は陰臓が虚したため現われるのであるから、肝腎(弦石)の脉状が現われるであろうし、陰乗の脉状は心肺の陽臓の臓気が虚したため現われるのであるから、心肺(鈎毛)の脉状が現われるのではないだろうか。

をっ。この段に関しては、《難経》では、ここまでは語っていないことは明白ですよね。虚すればその本来の脉状(真臓の脉)が現われるということから敷衍した説なのです、それなりに説得力はあるのですが、ここまで語るのには無理があるでしょう。
興味深い仮説にとどめておくほうがよいのではないかと思われます。







この難には、『これはその真臓の脉です。この脉が表われた人は病気でなくとも死にます。』とあるわけですが、《素問・平人気象論》《素問・玉機真蔵論》にも『真臓が現われれば死ぬ』という言葉があります。真臓の脉という言葉には、患者さんが非常に危険な状態にあるという意味が含まれています。

凌耀星さんはその《難経校注》で、『《素問》における「真臓の脉」とは、「胃の気のない脉」である。これはつまり、胃の気が不足しているために手の太陰に脉が到達することができなくなっているもののことである。そのような「真臓の気がひとり現われる」というものと、この難における内関外格・外関内格・陰陽相乗の「真臓脉」とは、そこに含まれている意味は異なっている。』と述べています。

同じ真臓の脉という言葉で表現しても、その意味するところはさまざま、というところでしょうか。
前段の仮説に対して一つの解答らしきものを提示していますが、はてさて。






2000年 10月29日 日曜   BY 六妖會




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