第 四十一 難

第四十一難




四十一難に曰く。肝だけには両葉ありますが、何に対応してこのようになっているのでしょうか。


五臓の中で、肝だけに両葉があって両脇に位置しています。






然なり。肝は東方の木です。木は春であり万物が始めて生じるところです。幼小のものは、意を親しくする所がありません。太陰を去るのもまだ近く、太陽を離れるのもまだ遠くはなく、両心があるような状態です。ですから両葉あるのです。


春は物が始めて生じた状態であり、人における幼穉〔訳注:幼児〕のようなものです。その身は独所し、その挙動はまだ定まりません、その意志は内に在ってそれを出して交わり親しもうとする所がありません、その血気はまだしっかりしておらず、その心識もまだ確固たるものとはなっていません、ですから狐疑し〔訳注:疑い深く〕決断力がなく、両心があるような状態とされているのです。「両心」とは心が岐(わか)れて両端を持っている状態であり、これは木気が陰陽のちょうど間にあって動揺し定まらない象を表わしています。「太陰」とは冬のことであり、「太陽」とは夏のことであり、「少陽」とは春のことであり、「少陰」とは秋のことを示しています。経脉や陰陽の大小と同じものであると早とちりしないよう注意してください。


問いて曰く。秋もまた陰陽の間にありますが、どうして両葉ないのでしょうか。

答えて曰く。秋は老成の時期ですから事遂げ功終わるという状態です。どうして両心がありましょうか。






また木の葉に応じています。


草木は甲拆(こうたく)して〔訳注:草木が芽を出すこと。甲羅を割り割いて〕生じますから両葉あります、つまり陰陽が開き発しようとしている象です。また木の葉は二つに分かれて垂布し〔訳注:広がって垂れ下がり〕ます、これが肝に両葉ある理由です。


問いて曰く。肝に両葉あり、腎に両枚あります。その違いは何なのでしょうか。

答えて曰く。肝の両葉はあらゆる物が始めて生じて陰陽に分かれ開くという象です。腎の両枚は万物が陰陽を根本としているという形です。


問いて曰く。肝だけをこの難に別出しているのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。幼弱な人は形神ともに動じ易いですから病もまた生じ易いものです。風熱の鬱積や攣搐〔訳注:痙攣〕痃癖〔訳注:積聚〕等の形病となったり、驚悸・狂癇や疑忌・錯乱等の心疾となるものが非常に多いものであり、その調護〔訳注:治療や保護〕を上手にしなかったため最後には壊症となって生涯苦しんでいるものも少なくありません。一生の計は少年にあるという意もここにあります。また肝は幼穉で堅い操がない臓であるため、触冒の患をなすこと〔訳注:病に罹ること〕を恐れて特にここにあげているのです。



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