第 四十 難

第四十難




四十難に曰く。経に、肝は色を主り、心は臭を主り、脾は味を主り、肺は声を主り、腎は液を主るとあります。けれども鼻は肺の候であるのに反って香臭を知り、耳は腎の候であるのに反って声を聞きます、その理由は何なのでしょうか。


色は色彩という光潔なものであり、陽が発したものです、その染質〔訳注:色付けをしたような実質〕があるものは陰の体です、これを陰中の陽とします、春木の象です。春は陽が幼く、草木の花や葉の色は美しいものです。年若い人の艶や色も、このような花に比肩させることができます。臭はその気が升散して障礙する〔訳注:さえぎる〕ことのできないものであり、極陽に属します、これを陽中の陽とします、夏火の化したものです。火によって煎ったり炙ったりすると、物は皆なそれぞれの臭を生じます。また火は木に依存することによって用をなしますので、風に乗って伝わっていくときは臭気が遠くまで達します、これは木が火を生じたものです。あらゆる物には皆な臭があります、いわゆる男臭・女臭・牛羊草木等の臭です、そのもっとも微かなものは、園林や宮殿の臭、さらに《易》にいう玄気であり、また春秋に腥気があることを知るといった類がこれです。味にはもともと形がなく、万物の体に寓しています、土気が万物の中にあるということと同じです。また火を用いて物を煮ると、味が生じます、これは火が土を生じたものです。また思うのですが、土は五行の体ですから、嗜好するということは全て味に属します、翫味するといった類がこれです。声は耳を悦ばし、色は目を楽しませ、香りは鼻を薫じ、液は身を潤し、理義は心を悦ばせますが、これらは皆な人が甘んじて〔訳注:喜んで〕受け入れる所です、ですから蔗蜜や醍醐を甜美の例えとします。甘味以外の味は偏味とします、ですから辛苦・茶蓼(さりょう)〔訳注:苦いお茶〕・酸鼻〔訳注:凄惨な状態〕・鹵莽(ろもう)〔訳注:ぞんざいで粗っぽい態度〕の類を厭悪するものの例えとします。声は金に属します、物事が急迫すると声が出ます、秋もまた陰が陽に迫って縮急となるため声を主ります。拍手や撃柝〔訳注:拍子木〕の音はともに気が迫って出るものですし、人の声もまた気が肺に激迫することによって出ます。液は水です、生があるものは皆な気液をもっています、死ぬものは気液が乾き枯れます。気が動ずると液が生じますから、色情が動くと目に光沢が生じ、飲食しようとすると口に涎が流れます、また怒目血濺〔訳注:烈しく怒ると目から血の涙が出るということ〕・戚鼻沱涕〔訳注:激しい悲しみによって鼻から涕が垂れること〕の類も押さえておきましょう。


鼻は肺の候ですから声を聞くべきですし、耳は腎の候ですから液を生ずべきです。どうしてそうではないのでしょうか。






然なり。肺は西方の金であり、金は巳に生じます、巳は南方の火であり、火は心であり、心は臭を主ります。ですから鼻によって香臭を知らしめているのです。


火は巳〔訳注:午前九時~十一時〕に始まり午〔訳注:午前十一時~午後一時〕に盛になって未〔訳注:午後一時~三時〕に終わります。ですから巳は火の陰であり、午は火の陽であり、未は火の極で土に属することになります。また西方の陰金はもともと南方の陰を本として生じます。これは陰が陰の根となっているものです。鼻で香臭を嗅ぐということは、金が火の中から生ずるということです、ですから〔訳注:金が〕その食を母〔訳注:である火〕に求めてその生気を吸っていることになります。銅鏡で太陽の火を取り、金石を戞撃することによって火を生じ、天腹が日輪を転じ、肺の中に心主があるといった類は、皆な金の中に火があるものです。また鼻の形が尖っているのは、輿図(よず)〔訳注:古代の地図〕の中の火象を示しています。






腎は北方の水であり、水は申に生じます、申は西方の金であり、金は肺であり、肺は声を主ります。ですから耳によって声を聞かしめているのです。


金は申〔訳注:午後三時~五時〕に始まり酉〔訳注:午後五時~七時〕に盛になって戌〔訳注:午後七時~九時〕に終わります。ですから申は金の陽であり、酉は金の陰であり、戌は金の極で土に属することになります。来復した一陽はもともと金中の陽を本として始まっています。これは陽が陽の本となっているものです。耳が声音を聞くということは、水が金の中から生じて、その母の気を吸っているということになります。水が裏に金石を蔵して木や火や土を拒むのはこのためです。水銀が金を奪い、磁石が鉄を吸うということもまた、水の性が〔訳注:性質として〕金を引くものです。


問いて曰く。色や味はそれぞれその主る所の場所に入ります。声や臭と異なるのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。声や臭は気によって感じるものですから、その主る所の体を離れて、それを生じた舎に帰入するのです。色や味は質があるために、その主る所の体を離れずに、それぞれの場所に入るのです。



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