第 五十 難

第五十難




五十難に曰く。病には、虚邪・実邪・賊邪・微邪・正邪があります、どのようにしてこれを区別すればよいのでしょうか。


上難では、五邪を論じましたが互いに凌化の義〔訳注:五邪が凌ぎあい化しあう法則〕があることについては触れませんでした、ですからここに再びそれについて論じています。






然なり。後から来たものを虚邪とします。前から来たものを実邪とします。勝たない所から来たものを賊邪とします。勝つ所から来たるものを微邪とします。自ら病むものを正邪とします。


五邪について、陰陽家には旺・相・死・囚・休という言葉があります。正邪は旺であり、実邪は相であり、微邪は死であり、賊邪は囚であり、虚邪は休です。四時〔訳注:四季〕の徴候によってこのことを明らかにしていきましょう。夏が暑いということはその常です、ですから心が暑を病むことを正邪とします。夏の風はすでに衰えている春気です、ですから心が風を病むことを虚邪とします。夏の蒸は極まろうとする土気でありその勢いは盛です、ですから心が食労〔訳注:飲食労倦〕を病むことを実邪とします。また飲食の熱蒸や労働の熱汗は共に溽暑〔訳注:蒸し暑さ〕の徴候のようなものです。夏の寒さは夏気が寒を剋していますからその勢いは微です、ですから心が寒を病むことを微邪とします。夏湿は湿が暑を剋したものです、ですからその勢いは強大で、まるで夏気を奪おうとしているかのようです、ですから心が湿を病むことを賊邪とします。また、冬の湿はその正です。湿は沈陰晦冥(かいめい)している〔訳注:沈み込むように陰気で真っ暗な状態である〕ことがその証明になります。夏の湿は霖淫〔訳注:長雨〕を兼ねています。冬の寒はすでに去る気であり虚です。冬の風は極まろうとしている気であり実です。冬の暑はその剋する所の気ですから微です。冬の蒸はその剋を受ける所の気ですから盛で、冬気を奪うに充分な力をもっていますので賊とします。他はこれに倣って推測していってください。






どうしてかというと、たとえば心病になる場合に、中風からなるものを虚邪とします、傷暑からなるものを正邪とします、飲食労倦からなるものを実邪とします、傷寒からなるものを微邪とします、中湿からなるものを賊邪とします。


邪とは全て生命を害するものに対して名づけた呼び名です。けれどもその邪には生と剋とがあります。もし心が暑によって病むときは、身熱・煩渇・焦臭等の症状を呈します、これを正邪と名づけます。心が風によって病むときは、顔面の赤・心下満等の症状を呈します、これを虚邪と名づけます。もし心が労食によって病むときは、口苦体重等の症状を呈します、これを実邪と名づけます。この三者は、邪が正気を犯すといっても、相生比和の関係にありますので治し難いということはありません。寒は本来は心を侵すことのできないものですが、それに反して心を凌すると、身熱・譫妄等の症状を呈します、これを微邪と名づけます。水湿が心に乗じて汗泄・厥逆等の症状を呈したものを、賊邪と名づけます。この二者は相剋の関係にありますので治し難いものです。余邪はこれに倣って推測していってください。《難経》ではこのように五邪によって統括しています。その法は簡約ですが、その意義はに非常に博く深いものです。



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