第 五十一 難

第五十一難




五十一難に曰く。病となって、温を得ようとするものがあり、寒を得ようとするものがあります。人を見ようとするものがあり、人を見ようとしないものがあります。これはその状況によって異なります。その病はどの臓腑にあるのでしょうか。


病の綱要をあげる際に、上の二難では五邪を五臓に配して五等分されるということを説明しました。この難では寒温を臓腑に配して二分されるということを述べています。ここにもまた五行と両儀について示されています。






然なり。病となって、寒を得ようとし人を見ようとするものは、その病は腑にあります。病となって、温を得ようとし人を見ようとしないものは、その病は臓にあります。どうしてかというと、腑は陽であり、陽病は寒を得ようとし、また人を見ようとします。臓は陰であり、陰病は温を得ようとし、また戸を閉じて独所しようとし、人の声を聞くことを悪むものだからです。


寒温は陰陽の気です。風涼を好み暖火を好むのは、無形の気を引こうとしているためです。熱湯を好み、熱い物を飲もうとするのは、有形の気を引こうとしているためです。無形は天に属しますので外にあり、有形は地に属しますので内にあります。人は動く物です、人がいる場所は喧囂(けんごう)〔訳注:にぎやか〕であり陽に属します、人がいない場所は、寂冥(じゃくめい)〔訳注:寂しく静か〕であり陰に属します。また思うのですが、天気の寒温は静でありその気は厳です、人身の動静は躁でありその気は緩です。


もし腑が病めば諸陽が熱実となります、ですから外から陰気を取り入れて内に陰物を納めることによって、その陽邪を制しようとします。頭痛が寒やすことによって止まり、冷水によって胸煩が解けるといった類がこれです。このような症状を呈するものは、午後や夜といった陰の時には調子がよくなり、陽の時には悪化します。陽は動くものです、陽を病むときは陽の性が現われるため静であることができなくなりますから、人を見ようとします。これは天気の厳を得て邪を制し、人気の緩を得て己を〔訳注:正気を〕助けようとしているためです。


もし臓が病むと諸陰が冷え虚します。ですから外から陽気を取り入れて内に陽物を納めることによって、その陰邪を制しようとします。悪寒が暖めることによって止まり、熱い酒によって中寒を解するといった類がこれです。このような症状を呈するものは、午前や昼の陽時には調子がよくなり、陰の時には悪化します。陰は静かなものです、陰を病むときは陰の性が現われるため動ずることができなくなりますから、独所〔訳注:一人でいること〕を好み人の声を悪みます。これは天気の厳を得て邪を制し、人気の緩を得て己を助けようとしているためです。たとえば敵が襲ってきたとき、鋭利な矛で敵を制し、強固な盾で身を守ろうとするようなものです。このように矛と盾とには陰陽氷炭の違いがあります。






このようにして臓腑の病を区別し理解していくのです。


九難では臓腑の脉状を分け、この難では臓腑の病形を分けています。



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