第 七十 難

第七十難




七十難に曰く。春夏には浅く刺し、秋冬には深く刺すとは、どういう意味なのでしょうか。


この難では、春秋によって刺法の浅深を使い分けるということについて縦に説明しています。七十四難では、春秋によって五兪穴を使い分けるということについて横に説明しています。これは脉法にも縦横があるようなものです。






然なり。春と夏とは陽気が上にありますので、人の気もまた上にあります、ですから浅くこれを取ります。秋と冬とは陽気が下にありますので、人の気もまた下にあります、ですから深くこれを取ります。


天地万物の中で目を遮るものは皆な器です、陰とします。器の中に往来しているものは、渾然としている気です、陽とします。陽気が升る時期を春夏とします、その時期には人の気もまた従って升り、身体が潤い津液が溢れるようになります。陽気が降る時期を秋冬とします、その時期には人の気もまた従って降り、身体が枯れて津液も粘って涸れます。また春夏には陽を養い、秋冬には陰を養います。このような天の気の運行に逆らわずに治療する方法は、従治の法です。また考えてみると、月の満ち欠け、潮の満ち干、昼夜の明暗等においても皆な気の升降があります、詳細に考えていってください。


問いて曰く。春夏に浅く刺すということは、この時期の病は皆な浅い場所にあるのでしょうか。

答えて曰く。人の気が上がると病気もまた浮きます。気は器の主であり、その気がある所を取れば、器も皆なその指揮に従います。病の浅深の問題ではなく、気がある所を取って治療する理由がこれです。たとえば気が平であれば病脳〔訳注:「悩」の誤りか:病に対する心配〕は去り身体は調和がとれた状態となります。これは、正しく政治が行なわれていれば、凶賊が亡んで州国〔訳注:国内〕が安泰になるようなものです。






春と夏とにはそれぞれ一陰をなし、秋と冬とには一陽をなすというのはどういう意味なのでしょうか。


上節では升降浮沈が天の時に順(したが)うということについて述べ、この節では寒熱温涼が天の時に反するということについて説明しています。春と夏には陰をなし、秋と冬には陽をなすということは、夏日には水を飲み、冬日には湯を飲むことと同じ意味です。陰陽の微を扶けることによって、その亢じているものを制して、その和平を得ようとするものです。






然なり。春夏は温です、この時期に必ず一陰をなすということは、初めて鍼を下したときにこれを腎間の部に至るまで沈めて、その気を得てから引き上げこの陰を保持するということです。秋冬は寒です、この時期に必ず一陽をなすということは、初めて鍼を下したときにこれを心肺の部位に至る場所で浅く浮かべて、その気を得てからこれを推し入れてこの陽を入れるということです。


温暑の時期には必ず陰気を取り入れることによって陰を助け、寒涼の時期には必ず陽気を取り入れることによって陽を扶けます、これは薬剤を用いる場合に、陽の時期には涼剤を用い、陰の時期には温剤を用いるようなものです。陰を取る鍼法は、先ず鍼を深く入れて陰気を引き、これを浅い場所まで提げるということです。陽を取る鍼法は、先ず鍼を浅く入れて陽気を得、これを深い場所に納めるということです。これは四時〔訳注:四季〕に応じた温涼の治療法について述べたものです。このことは平常の養生の道においても言えることです。暑い時期には茄子を食べて陰を養い、寒い時期には菜根をよく噛んで食べて陽を養います、この二種類は人々の充菜〔訳注:いつも用いている野菜〕です。夏における瓜の冷めたさや、冬における炉の暖かさもまたその時期に適したものであるといえます。このことはただ四時の治療法についてだけ言えることなのではありません。温熱の病症の場合は陰を取ってこれを涼し、寒冷の病症の場合は陽を取ってこれを暖めます、これは正治の方法です。


問いて曰く。春夏には心肺の部を取り、秋冬は腎肝の部を取ります。これは夏に心部を取り、冬に腎部を取るということだということはわかります。けれども春に肺部を取り、秋に肝部を取るのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。心肺と腎肝とは浮沈の二部について言っているものです。春秋は陰陽の半ばする時期ですから、春はその位は低くて気は高く、秋はその位は高くて気は低くなっています。このようにして互いにその用〔訳注:機能〕をなしているわけです。上節に、『春夏には浅く刺し、秋冬には深く刺す。』とあり、下節には、春夏は深く刺して陰を取り、秋冬は浅く刺して陽を取るとあります。これは、このように深浅を互いに用いるということを語っているもので、常と変という関係にある鍼法です。


問いて曰く。春夏が温なのは陽であり、秋冬が寒なのは陰であるということです。けれども四難に、心肺はともに浮き、浮は陽であり、腎肝はともに沈み、沈は陰であるとあります。春秋と肝肺との関係において陰陽が齟齬して〔訳注:食い違って〕いるのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。これは陰陽標本の違いです。秋と肺とを陽とするということは標について語っているものです、春と肝とを陽とするということは本について語っているものです。また春も秋も夏と冬に間にあるものであり、陰陽を兼ねているためにこのように微妙な違いが出てくるのです。






これを春と夏とにはそれぞれ一陰をなし、秋と冬とには一陽をなすと言っているわけです。


結びの文です。問いに合わせています。



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