広岡蘇仙富原の略歴



1592年 先祖の小寺道悦、南京で中国人の仏教徒より医術を伝えられる。
年代的には張景岳が生存していた1563年~1640年と合いますが、景岳全書が書かれたのが1624年ですから、張景岳以前の治療家の学問であろうと思われます。金元の四大家とそれを継いだ人々の学問でしょうか。もちろん、その当時だけ南京に伝承されていた学問であるという可能性もあります。

1696年 丙子 広岡蘇仙、大阪、河内の讃良郡で生まれました。

1713年 数えで18歳の時、京都の井原閲の門下生となり、《難経》を学びました。

1716年 数えで21歳の時、門下を辞して河内に帰りました。攝右の浪華に出て、実際に治療家として活動しはじめました。

1719年 井原閲、他界しました。

1728年~1729年 《難経》を講義し、その間に講義録をまとめ《上池水経一鉄鑑》と名づけました。

1729年 数えで34歳の時、《難経鉄鑑》の序文を書き終えました。けれども以後20年間、秘されていました。

1749年 弟子たちに説得され、出版を決意し、序文を中島玄迪貞成に依頼しました。

1750年 数えで55歳の時、門下生の章貞等による後書きが完成し、版木製作者へ渡されました。







2000年 3月31日 金曜   BY 六妖會


一元流
難経研究室 前ページ 次ページ 文字鏡のお部屋へ