清明心




かゝる國土と既に述べた如き君民和合の家族的國家生活とは、相俟つて明淨正直の國民性を生んだ。即ち文武天皇御即位の宣命その他に於て、

明き淨き直き誠の心
淨き明き正しき直き心


と繰り返されてゐる。これは既に、~道に於ける禊祓の精~として語事にもうかがはれるのであるが、天武天皇の十四年に御制定になつた冠位の名稱には、勤務追進の上に明淨正直の文字が示され、如何にこの國民性が尊重せられたかがわかる。明淨正直は、精~の最も純な力強い正しい姿であつて、所謂眞心であり、まことである。このまことの外部的表現としての行爲・態度が勤務追進である。即ちこの冠位の名稱は、明るい爽やかな國民性の表現であり、又國民の生活態度でもあつた。而してまことを本質とする明淨正直の心は、單なる情操的方面に止まらず、明治天皇の御製に、

しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける


と仰せられてある如く、よく義勇奉公の精~として發現する。萬葉集には「海行かば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大皇の 邊にこそ死なめ かへりみはせじ」と歌はれ、蒙古襲來以後は、~國思想が顯著なる發達を遂げて、大和魂として自覺せられた。まことに大和魂は「國祚之永命を祈り、紫極之靖鎭を護り」來つたのであつて、近くは日清・日露の戰役に於て力強く覺醒せられ、且具現せられた。

明き清き心は、主我的・利己的な心を去つて、本源に生き、道に生きる心である。即ち君民一體の肇國以來の道に生きる心である。こゝにすべての私心の穢は去つて、明き正しき心持が生ずる。私を沒して本源に生きる精~は、やがて義勇奉公の心となつて現れ、身を捨てて國に報ずる心となつて現れる。これに反して、己に執し、己がためにのみ計る心は、我が國に於ては、昔よりK(きたな)き心、穢れたる心といはれ、これを祓ひ、これを去ることを努めて來た。我が國の祓は、この穢れた心を祓ひ去つて、清き明き直き本源の心に歸る行事である。それは、~代以來國民の間に廣く行はれて來た行事であつて、大祓の詞に、

かく聞食(きこしめ)してば、皇御孫(すめみま)(みこと)朝廷(みかど)を始めて、天の下四方(よも)の國には、罪と云ふ罪は在らじと、科戸(しなと)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、(あした)御霧(みぎり)(ゆふべ)の御霧を、朝風夕風の吹き掃ふ事の如く、大津邊(おほつべ)()る大船を()解き放ち、(とも)解き放ちて、大海原に押し放つ事の如く、彼方(をちかた)繁木(しげき)が本を、燒鎌(やきかま)敏鎌(とがま)()ちて打ち掃ふ事の如く、(のこ)る罪は在らじと、祓へ給ひ、清め給ふ事を、高山の末短山(ひきやま)の末よりさくなだりに落ちたぎつ速川(はやかわ)の瀬に()瀬織津比(ロ羊)(せおりつひめ)と云ふ~、大海原に持ち出でなむ。かく持ち出で()なば荒鹽の鹽の八百道(やほぢ)八鹽道(やしほぢ)の鹽の八百會(やほあひ)()速開都比(ロ羊)(はやあきつひめ)と云ふ~、持ち可可(かか)呑みてむ。かく可可呑みてば、氣吹戸(いぶきど)()す氣吹戸主と云ふ~、根の國底の國に氣吹(いぶ)き放ちてむ。かく氣吹き放ちてば、根の國底の國に坐す速佐須良比(ロ羊)(はやさすらひめ)と云ふ~、持ちさすらひ失ひてむ。かく失ひてば、天皇(すめら)が朝廷に仕へ奉る官官(つかさつかさ)の人(たち)を始めて、天の下四方には、今日より始めて、罪と云ふ罪は在らじ・・・


とある。これ我が國の祓の清明にして雄大なる精~を表したものである。國民は常にこの祓によつて、清き明き直き心を維持し發揚して來たのである。

人が自己を中心とする場合には、沒我獻身の心は失はれる。個人本位の世界に於ては、自然に我を主として他を從とし、利を先にして奉仕を後にする心が生ずる。西洋諸國の國民性・國家生活を形造る根本思想たる個人主義・自由主義等と、我が國のそれとの相違は正にこゝに存する。我が國は肇國以來、清き明き直き心を基として發展して來たのであつて、我が國語・風俗・習慣等も、すべてこゝにその本源を見出すことが出來る。








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