國民性




風土と國民性




山鹿素行は、中朝事實に「中國の水土は萬邦に卓爾し、人物は八紘に清秀なり」と述べてゐるが、まことに我が國の風土は、温和なる氣候、秀麗なる山川に惠まれ、春花秋葉、四季折々の景色は變化に富み、大八洲國は當初より日本人にとつて快い生活地帶であり、「浦安の國」と呼ばれてゐた。併しながら時々起る自然の災禍は、國民生活を脅すがごとき猛威をふるふこともあるが、それによつて國民が自然を恐れ、自然の前に威壓せられるが如きことはない。災禍は却つて不撓不屈の心を鍛練する機會となり、更生の力を喚起し、一層國土との親しみを増し、それと一體の念を彌々強くする。西洋~話に見られるが如き自然との鬪爭は、我が國の語事(かたりごと)には見られず、この國土は、日本人にとつてはまことに生活の樂土である。「やまと」が漢字で大和と書かれたことも蓋し偶然ではない。

頼三陽の作として人口に膾炙せる今樣に、

花より明くるみ吉野の 春の曙見わたせば
もろこし人も高麗人も 大和心になりぬべし


とあるのは、我が美しき風土が大和心を育み養つてゐることを示したものである。又本居宣長がこの「敷島の大和心」を歌つて、「朝日に匂ふ山櫻花」といつてゐるのを見ても、如何に日本的情操が日本の風土と結びついてゐるかが知られよう。更に藤田東湖の正氣の歌には、

天地正大の氣、粹然として~州に(あつ)まる
秀でては不二の嶽となり、巍巍として千秋に聳え
注いでは大(えい)の水となり、洋々として八州を環る
發しては萬朶の櫻となり、衆芳與に(たぐひ)し難し


とあつて、國土草木が我が精~とその美を競ふ有樣が詠まれてゐる。








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