2、マインドコントロールの方法

2、マインドコントロールの方法






アメリカ占領軍は、日本に上陸する以前から、日本の弱体化を目指して綿密な計画を練っていました。『軍隊が完全に武装解除され、抵抗力が皆無となりおおせては、占領国の言うがままになるしかない。それを甘受しないのならば、ゲリラ戦でもやるしかない。残念ながらそれが国際社会の現実であり、日本政府はその認識に欠けていたというしかないだろう。』(《大東亜戦争の本質》347p 同台経済懇話会刊)とあるように、占領軍による日本支配を許してしまうことに対して強い懸念を表明していたのは、陸海軍の統帥部だけでした。

この占領軍によるマインドコントロールには二つのプロセスがありました。その一つは、『人間の心を思う方向に操作するのに碍げとなる記憶を全て消去すること』であり、もう一つは、『記憶を消去することと同時に、操作に有利な一方的な情報を与える。それにそぐわない情報は遮断する。』(《大東亜戦争の本質》347p 同台経済懇話会刊)ということです。

このことを行うために占領軍がとった方法は、徹底的な検閲でした。その検閲はただ新聞・雑誌・放送などのマスコミだけではなく、単行本など全ての出版物、映画・演劇・演芸、さらに私信にまで及びました。この検閲方法の徹底しているところは、戦前や戦中に日本政府が行っていた検閲と異なり、『事前検閲で削除を命じられた場所に、×××といった伏字を施すのではなく、どこが削除された個所かわからぬように文章を改変する』というものでした。それはまた『墨で塗りつぶしたり、白紙を貼ったり、ページを切り取ったりすることも禁止され、必ず組み換えして検閲・削除の跡が残ら』(《大東亜戦争の本質》347p 同台経済懇話会刊)ないようにするという徹底ぶりでした。

当前彼等は、検閲している事実を公表したり報道したりすることも厳禁していましたので、検閲が存在するということ自体、日本の国民は知りませんでした。







その結果どのような国民感情が醸成されていったのでしょうか。

占領軍は、このような徹底的な検閲を秘密裏に行いながら、それまであった言論統制関係法の全廃を大々的に宣伝したため、国民は、『あたかも自分たちの読んでいる新聞・雑誌・単行本、聞いているラジオ放送が、戦前戦中にない「言論の自由」を謳歌しているかのように錯覚した』(《大東亜戦争の本質》348p 同台経済懇話会刊)のです。

このような検閲の結果、『自由であるとか、正義であるとか、人道であるとか、都合のいい言葉を日本側は全部戦勝国に握られ、戦勝国はあたかも欺瞞や残虐や裏切りとはなんの関係もないかのごとき前提ですべてが語られる道筋がつけられ』ました。『しかし、日本全土にゲルニカ空爆以上の残虐をほしいままにしたアメリカにそんなもの言いが許されるであろうか。さらに、英米仏蘭は日本の敗退後、ただちにアジアに戻ってきて、植民帝国主義を再開したではないか。民主主義や民族自決や人権思想などの美名を口にしながら戦前のアジアにこれを導入し、政治制度化した欧米の国はただの一つもない。』(《国民の歴史》649p 西尾幹二著)という言葉は、注意深く読まれなければなりません。

検閲によって排除された情報は、まず第一に、米国が原爆を投下して非戦闘員を大量に虐殺したことが戦時国際法に明白に違反しているという事実です。そして、占領軍が行った強姦・暴力行為・略奪などの犯罪も報道を禁止されていました。これは満州や樺太のソ連軍ほど多くはなかったようですが、無視できるほどのものではなかったといいます。(《大東亜戦争の本質》350p 同台経済懇話会刊)

ことに『原爆への言及やその被害状況、被爆地である広島・長崎の現状を伝える記事と写真』は、『日本人によるそれはもちろん、外人記者によるルポすら掲載を禁止され』(《大東亜戦争の本質》351p 同台経済懇話会刊)ました。《アサヒグラフ》に原爆投下の悲惨な状況が掲載されるようになったのは実に、日本独立後の昭和二十七年に入ってからのことです。






2001年8月30日

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