4、石橋湛山の言葉

4、石橋湛山の言葉






ポツダム宣言を内面的に消化した段階で、すぐにその危険性を喝破し、深い批判を加えた人物に、石橋湛山がいます。これは占領軍による言論統制が始まる前の九月一日に『週刊東洋経済新報』で発表された「更生日本の進路」と題された論文です。石橋湛山は戦前、平和主義こそ唯一の道として、大新聞のリードする軍国主義の潮流に最も果敢に抵抗した人物であり、戦前からの自由主義者として一貫して筋を曲げなかった人物として知られています。









思うに我が国民がこの宣言を見て最も懸念し、当局者もまたその受諾に際して最も注意を用いたのは、その第一の「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出でしめたる権威と勢力とを永久に除去すべし」と記せる一条であろう。しかし記者はここに断々固として述べるが、万一我が国に事実「国民を欺瞞し、世界征服の挙に出でしめたる権威と勢力」如きが存したとすれば、敢えて外国から要求されるまでもなく、我が国が自らこれを永久に除去しなければならない。


もちろん我が国にも、米英等の諸国におけると同様、思潮としての軍国主義はかねてから存した。しこうしてそれが時に実際政治に相当の影響を持ったこともなかったとは決して言わない。しかしこれは個人的主義主張の問題であって、これをして撲滅すべしと言わば、言論思想の自由を束縛するものだ。と同時にまた米英も同様の主義主張を撲滅する要がある。けだし前記条件第一に言う所は、一時我が国においても論議されたが如く、一種の専制的幕府的存在が国内に跋扈しほしいままに軍国主義的政治を行なう場合を指すのであろう。しかればこれは本来我が建国の精神に背くものとなること前陳の如く、戦争に勝とうが負けようが、我が国の断じてそのままには差置けない所である。






次に三国(米英支)の条件が、思想的あるいは政治的に我が国に干渉すると思われるのは「日本政府は国内における民主主義的傾向の復活に対する一切の障碍を除去し、言論、信教、思想の自由を確立し、基本的人権を尊重すべし」と記せるそれであろう。しかしこれもまた日本建国の根本主義と異なるものではない。我が国には一時いわゆる民主主義すなわちデモクラシーの主張を誤解しあるいは曲解し、これを甚だしく排斥したことがある。もとよりデモクラシーは外国の名であるが、しかしその精神に至っては、我が国に疾くに確立せられたるそれと異なるものではない。慶応四年、明治大帝の立て賜いし五箇條の御誓文は


一、広く会議を興し万機公論に決すべし


一、上下心を一つにして盛んに経綸を行うべし


一、官武一途庶民に至るまで各其志を遂げ人心をして倦まざらしめん事を要す


一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし


一、智識を世界に求め大に皇基を振起すべし


と拝し奉るが、これ実にデモクラシーの真髄を道破せられたものではないか。また言論、信教、思想の自由ないし基本的人権の尊重は我が欽定憲法の疾くに重きを置きて定められる所であって、今更三国に指摘せられるまでもない。万一にも近年の我が国の実況に右御誓文ないし欽定憲法の明文に背くがごとき傾向があったとすれば、畏れ多くも御歴代の聖旨に違い奉ったことである。かく考え来れば、かの三国宣言が我が国の政治の精神あるいは国民思想に干渉すとなすことは無用の杞憂であって、ただ彼等は本来の日本の主義をここに掲げたに過ぎない。


日本国民は速やかに五事の御誓文と欽定憲法とに返れ。然らば米英ソ支何事を為すを得ん。






今年の教科書問題に見られるように、中韓の外圧とそれをあおった朝日新聞を中心とするマスコミ、そして、集団で言論の封殺を試みようとした左翼陣営は、この石橋湛山の言葉をいかに捉えるのでしょうか。






2001年8月30日

忠君愛国 次へ