嵐の中の歴史教科書


田中真紀子外務大臣への批判



四月二八日、日本の独立記念日に、西尾幹二氏が代表をつとめる「新しい歴史教科書をつくる会」が大阪でシンポジウムを開きました。「大阪版 嵐の中の歴史教科書」と名づけられたそのシンポジウムは、大阪のサンケイホールで四時間にわたって開かれました。シンポジストは、西尾幹二・加地伸行・田久保忠衛・高森明勅の各氏です。司会は高森明勅氏がつとめていました。会場は二階席までいっぱいで、関係者の話によると1200人もの方々が集まったということです。観客を眺めていたわけではないのですが、お年寄りも多く、また、四十代から六十代と思われる方が大半、二十歳にはなっていないだろうという方々も見受けられました。幅広い年齢層が集まっているということと、実際に今働いて日本を支えているようにみえる方々が多いなというのが、私の印象です。


始めに西尾幹二氏が話されました。教科書の紹介もされたのですが、中でも「田中真紀子外務大臣」の発言に対する批判が、非常にはっきりと会のお立場を表明しているものです。

その講演は、新聞の記事の紹介から始まりました。毎日新聞の記事と産経新聞の記事です。内容は似たりよったりで、田中真紀子外務大臣がつくる会の教科書に対して、「外務大臣になる前は、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は事実をねじ曲げているし、そう言おうとしている人達がいるんだなーと考えていた。しかし世代間の問題だから時間がかかる。もっと私たちも大人にならないといけないし、事実は事実として認識していくことをやらないといけない。いい方向に行くよう外交的努力をしていきます。」(産経新聞)と評している言葉に対するものです。

新聞記事を読み上げた上で西尾氏は、以下のように語っています。

西尾幹二氏


ゆゆしき発言であります。と同時に、許しがたい発言であります。

この大臣の、最初の失言であり、追及し弾劾に値する内容であります(そうだ:大拍手)

まだああゆう教科書を作って事実をねじ曲げようとする人がいると我々のことを言っている。「事実をねじ曲げる」とは許せない表現であります。事実をねじ曲げているのは今までの既成の教科書ではなかったんでしょうか。(そうだ:大拍手)


私は執筆者の立場に入ったので、現行教科書を批判することはできませんし、現行教科書、つまり我々と競合している教科書は、見ることもできませんし、見てもいません。

しかし、今までの教科書を批判することは―――今までというのはつまり平成八年の検定ですが―――なんら問題がないわけであります。

どこの会社のことだというふうに申し上げるのではございませんが、たいへんにねじ曲がっております。それが我々が教科書を自分で作ろうとした、動機ですよね。


たとえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵は朝鮮侵略と書いている。元寇による元と高麗の日本への侵略は、襲来と表現している。朝鮮の教科書では日本征伐と書かれているんだそうであります。で、自分の国のことをなんであえて侵略と表現するのか。侵略なんていう概念はあの時代ありません。それをなぜ、侵略というふうにしなきゃならないのか。

日清日露戦争というものを、中国の教科書も韓国の教科書も侵略戦争というふうに規定しておりますが、まるでそれに口裏を合わせるようにして、日本の歴史教科書がそう書いている。そして日露戦争について言えば、必ず、幸徳秋水の「非戦論」と与謝野晶子の「きみしにたもうことなかれ」という歌を掲げて、現代の反戦平和主義でもってあの明治の苦難を、把えている。

私どもの教科書は、それに対して、小村意見書という、外務大臣小村寿太郎が事に臨んで、イギリスにつくべきかロシアにつくべきかということを、どっちが得かということを、どの選択があり得るかということを、その当時の日本人が、いかに、苦しい選択に立たされたのか、このいちいちの意見のポイントを挙げて、説明しておるのであります。

今の子供に、反戦平和主義で、日露戦争も日清戦争も犯罪であることを教えるのではなく、当時の日本人が、どんなに苦しい選択の、途に立たされたかということを当時の日本人の身になって考えてもらおうとしているのであります。


これが歴史というものであります。

そうでなければ歴史の教育にならないというのが、我々の考え方です。

これがいったい事実をねじ曲げていることなのでしょうか。事実をねじ曲げているのはどっちでしょうか、一体。

この、教科書問題について、言及、論評を加えるというならば、田中外務大臣に敢えてきちんと申し上げたい。

勉強して出てこい。!!!!!!!(その通り!!!大拍手)

まず何を勉強するかというと我々の教科書を読む前に、他の七社の教科書を読め!!!!!!!

次いで、中国と韓国の教科書を読め!!!!!!!!!



中国と韓国の教科書にどういうことが書かれているか知っているのか。

たとえば、算数の教科書で、日本の兵隊が農民を殺した、その殺した数によって足し算と引き算を教えている。

百人切りなどという虚報、―――こんなことまったくなかったわけでありますが、その虚報で処刑された軍人が過去におるわけですが、それをさも事実であるかのごとくに、写真入りで、―――作り話の写真入りで、小学校一年生の教科書に掲げている中国、国語の教科書です。

あるいは歴史の教科書では、絶え間なくここに来て、残虐に虐殺したと称する日本兵の、その中国の殺害数が急激に、かさ上げされている。つまりご都合主義で書かれている。そういうのを事実をねじ曲げるという。

事実をねじ曲げる教科書が、日本の文部省の検定を通るはずがないんです。事実と事実の間の解釈をどうするかということは、これは多様でありますが、事実は一つしかないんですから、我々も一つしかない事実に立脚して書いているわけであります。ただ一つの事実、二つの事実、三つの事実が重なったら、それをどう解釈するかというのは、左翼の教科書と我々の教科書とは違う、それはその通りであります。が、しかし、それを事実をねじ曲げるとは、どういうことですか。

この発言は、たいへんな失言であると同時に、この女性大臣の、歴史と思想に関する無知を暴露しているということも、今申し上げたことで、明瞭におわかりいただけたと、思うものであります。


この人は「国会議員でも戦後処理の問題で信じられない発言をして閣僚辞職を余儀なくされる人々がいる。」というように述べてますが、これも大失言でございます。

ちょうどこの十年、一九八六年に藤尾文部大臣の失言事件が起こって辞職辞任が起こりましてから、一九九五年の衛藤総務庁長官の発言によって、総務庁長官更迭事件というのが起こるまで、一九八六年から一九九五年まで続いたこのできごとは、中国と韓国がどういう動きをしていたかについて、当時の日本人がよくわからなかった。それで謝罪を突きつけられ、そうした要求の中で、非常にこのどぎまぎして、自己誤認をして、そしてそれが、その九五年に村山首相談話を生んでしまうわけであります。


この八六年という年は、中国の学生が全国で反乱を起こして、ケ小平がそれを抑えたときであります。その三年後に天安門事件が起こっております。すなわち中国は、マルクス主義と共産主義に対する失望と、西側に対する敗北というものが日に日に迫っていた八十年代、ちょうどゴルバチョフが、世界史に登場するのが八五年ですからね。ブレジネフが死ぬのが八二年です。ちょうどその時に当ってですね、中国は、共産主義に代えるに民族的愛国主義をもって、国家統一の原則とせざるをえないという認識にうつったに違いない。

それから、何によってその国を統一するかという、その統一の、柱の原則とするかということを考える時に、中国は結局、愛国主義、すなわち抗日戦争、日本との戦争、を、ひたすらもちあげる、それだけを取り上げる。そうすることに、国家の帰趨を決めた。そういう風に私は思っています。

ですから猛然、戦争が終わって何十年も経った一九八六年から急に、九五年にかけてのこの十年間急に、日本に対して、閣僚発言などを把えた激しい攻撃が始まったのです。これは、歴史の問題ではなくて、中国の政治の問題なんですよ、国内の。中国国内の政治の問題なんです。そして、日本に謝罪を要求することは彼らの国益なんです。そうすることによって日本からも金をむしり取ることもできると、味をしめているわけであります。

こうしたことが外国の国益であって、外国のエゴイズムの表現であるという事も見抜けないような外務大臣が、あるでしょうか。(拍手)

藤尾文部大臣から、衛藤総務庁長官まで起こった事件を、この女性外務大臣は、「なんだろう、あんなことは信じられない発言だ」とこう言っている。無礼ですよその人たちに対して。あの時期の出来事はやっと、九五年から今日までの間に、やっと日本人にもわかってきたわけです。いくら謝罪したってこれはきりがないと。退けば退くほど押してくると、退けばまた押してくると、これはもうほとんどもうどうしようもない問題だということについて、深い認識が少しづつ自民党の中にできてまいりまして、政府の中にも出てまいりまして、国民の認識も変わってきたわけです。


この国の位置は常に、中国が弱体化している時には古き懐かしき文化のふるさととして日本人はあがめるんですが、中国が尊大になり強大化してくると必ず静かに距離をとろうとするものなのであります。それがこの国の、古代以来のあり方なんです。古代以来の。

ここ十年来、日本人はだんだんにそれに気がついてきて、中国に対する日本のスタンスは変わりつつある。距離を持とうとする意識が、国民の中に広がる。

ご承知のように、宮中における江沢民の無礼な発言。さらにご承知のように、周辺の海域に不審船が襲来する。あちこちで領域侵犯がなされる。そんなことがございます。もちろん、ODAがおかしいんじゃないかと、日本人が疑問を抱いております。

やりすぎたODAで、北京の町と交通網が整えられ、北京はオリンピックのために鉄道をひくということで、その資金は全部日本から出ている。日本から出た、北京支援で、整った北京がオリンピック投票で大阪を打ち破るといった、ばかばかしいことが起こりつつあるんです。

日本のお金で肥え太った北京が、大阪市をオリンピックの戦いで破るといった状況。ここへきて日本人ははたと気がついて、今、十分に距離をとろうとする感情が芽生えております。


教科書問題はそのような時も時に、ぶつかりましたが、そうした距離感覚をしっかり認識していたのは、森総理大臣であり町村文部大臣でした。私どもの教科書は森さんによって守られました。森さんは見事な言葉をはきました。「私も見ることもできないのに、見ることができない白表紙の教科書を、なんで外国の方は見ることができるんですか」と。これは至言でございます。あるいはまた、「近隣諸国条項は、国内のルールであって、条約のごときものではない」と、そこもはっきりおっしゃいました。こうしたことが支えになり、河野外務大臣も物が言えなかったわけであります。


ところがここへきてふたたび、たいへん憂慮すべき事態になっております。新しい外務大臣の認識の力、歴史を見る目、思想、そういうものが怪しいということに気がついたからであります。

西尾幹二氏

西尾幹二氏はこのように明確に田中真紀子外務大臣を批判し、つづいて、「つくる会」で作成された教科書の内容を紹介されました。その内容は、日本という国が形作られてきた先人たちの苦労を、そのまま愛おしみながら書かれていることがよく理解できるものでした。それを自尊史観と呼んでおられましたが、その意味は、「日本は優秀な制度を学びはするけれども、それを独自のものへと消化した上でとりいれた、その歴史を述べたものである。」ということであって、何がなんでも自国を尊崇し、他国を貶めるというようなものではないのだと、「学び」という点を強調して語られていました。

テープ起こしをした文章を読んでみると、意外と厳しい言葉が並んでいるのですが、シンポジウムそのものはとても明るく、楽観的な雰囲気に溢れていて、西尾氏もお茶目な冗談を交えながら楽しく元気に活動しているということがうかがえるもので、楽しかったです。

この「つくる会」の教科書は、五月末に店頭販売されることになるそうです。それによって、教科書採択を公平なオープンな競争に基づいた採択によるものにしようと考えていると語っておられました。よその教科書も市販され、国民がそれを比較検討できるようにしていただければ嬉しいですね。私としては、国を愛する心、祖先を尊敬する心を養う、このような教科書が教育現場で使用されるようになることを、願ってやみません。

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知一庵