興亜観音への道



興亜観音への道




興亜観音御尊顔


興亜観音。まさに、アジアを興すことを志の中心におき、しかし、アジアの中で行われた内輪もめのような日中戦争において、その双方の犠牲者をともに弔おうという気高い志に裏打ちされた観音像が建っているのは、熱海市から、伊東市へ向かう海岸道路ぞいの興亜観音というバス停から、急峻な坂道を上って20分ほどのところ。豊穣な緑の放つ香り高く濃密な空気が支配する場所です。

興亜観音についてはじめて知ったのは、『天皇と東条英機の苦悩』〈塩田道夫著〉〈三笠書房・知的生き方文庫〉によります。そして、それは、直接的に興亜観音の事績を知ったのではなく、A級戦犯のお骨を、アメリカ軍の目を盗んでここに隠した、という記事からです。この記事については、私のホームページの中の【殉国七士廟】の中に詳しく述べてありますので、避けます。

興亜観音は、昭和十二年におこった第二次上海事変での、日支双方の戦死者の霊を慰めるために作られました。その際、日支双方の土をこねて混ぜ焼成し、陶器で造築されています。このことはまさに、アジアの心を一つにしたいという松井石根氏の情熱が結晶したものであると言えましょう。まさに興亜の象徴に値する観音像であると、私は思います。この松井石根氏の大きく清らかな志に対して、私はただ、ひれふすことしかできません。







軍人と軍人とが国威をかけて戦うものであった戦争が、大東亜戦争では二つの側面で傷られました。その一つは、軍人が卑怯にも民間人の中に隠れ、民間人を盾にしたことです。ここにおいて、民間人は、敵味方双方の軍人に追いつめられて、行き場を失ってしまいました。

さらには、無差別大量殺戮が平然と行われたことです。これは、アメリカ軍による大都市空襲と原爆投下が、もっとも残酷な形で表現されているものでしょう。これは、国威を発揚するに足る戦争ではありません。まさに、残忍無比な殺し合いの中に、国民が投げ込まれようとしていたわけです。その寸前で、ぎりぎりのところで、玉音放送が流れ、戦争が終わりました。

勝つことにも意味を見出すことのできないような戦争、このような戦争にまで戦争行為を堕落させた張本人たちが、敗戦国であるからと日本を裁きました。それが、東京裁判であり、それに続く、占領軍の情報統制と日本国民へのマインドコントロールです。戦前を悪とし、戦後初めて民主主義の恩恵を(かの無差別殺戮の当事者である)アメリカが与えてくれた、かのような幻想を信じること。この暗い戦前、明るい戦後のイメージは、歴史をもっとよく考えていくことを意識せずには、乗り越えることはできないでしょう。

わたしはこのように、慰霊の旅をする中で、戦時中の軍人たちの清らかさに触れています。その志の高貴さ、意志の強さ、誠実さ、愛の深さ。私のような小人物にはとても及びつかないそのような人間的な強さを前にして、反戦人士たちのように彼らを誹謗することなど、私には、とうていできません。







ただ、やむを得ざるの戦争があり、全力で戦い、誇り高く敗れた国があるのだということ、そのことを胸にしまい、ふたたび、この国の歴史を、私は私として歩き続けようと思います。




熱海―伊東間の海岸道路に、興亜観音のバス停があります 左か右か、迷い道の真中に、草莽に蔽われた美術館? 美術館?の右の道をとると、実は近道です、後で気づきました 右の道を上りしばらくするとある、右手の階段を昇るのが近道 美術館?の左の道をとると、だらだらの急峻な坂道です 海岸道路にある興亜観音の標識。緑がきれいです。

バブルの痕跡?草莽の中の鏡屋敷とお地蔵さま ふくよかなお地蔵さまが柔らかく道行く人々を眺めています 興亜観音の目印の石碑。左右の道はこの手前で交わります 石碑の右手に入口の扉が開け放たれ、車はここまで入れます 七曲がりの坂道のはてに民家が その民家から、境内参拝順路。空気がおいしく緑がきれい

かすかにみえるあれが、興亜観音か アジアの緑にくるまれた興亜観音 最後の踏んばり、わが足はよれよれ 興亜観音。高い石垣の上にある 興亜観音 礼拝台には、新しい花が

興亜観音御尊顔
若々しく精悍な顔
興亜観音。下方より、望む。 興亜観音 赤軍派に爆破された七士の碑がこれ。修復済。 大東亜戦殉國刑死一〇六八霊位供養碑 大東亜戦争戦没將士英靈菩提

興亜観音の足元に安置されている小石碑群 興亜観音の足元に安置されている小石碑群 興亜観音の足元に安置されている小石碑群 興亜観音の足元に安置されている小石碑群 興亜観音の足元に安置されている小石碑群 興亜観音の足元に安置されている小石碑群

興亜観音近くにある石碑群 興亜観音、
本堂遠景
興亜観音、
本堂近景
興亜観音本堂から見た熱海の風景 【光明遍世界】の掛け軸のかかるお堂 参道途中にある休憩所


【熱海・伊豆山 興亜観音】 〈興亜観音を守る会〉のホームページへ




興亜観音、大画面



これより下の画像は、興亜観音をお祀りしたいと思われる方などに便利なように、大きいサイズできれいにプリントアウトができるように配慮したものです。高さが2240ドット幅が1680ドット、それぞれあります。297ミリ×210ミリA四版で印刷しても、きれいに見れると思います。(もちろん、プリンターの能力にもよりますが)

けれども、パソコンの画面で見るには適していません。ダウンロードにかなりの時間がかかりますし、大きく高精細のモニターでも全体を見ることができないほど大きいですから。

また、ファイルサイズが大きいため、ディスクの容量をかなり食ってしまいます。そのため、このダウンロードサービスは、いつの間にかなくなっている可能性があります。そのあたりもよろしくお願いします。



興亜観音
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興亜観音
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興亜観音
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2001年5月9日 水曜日

知一庵 忠君愛国