妊娠の生理




妊娠についての生理的な研究とは、人類の生命の起源を考えること であり、また胎児が母胎内でどのような過程を経て成長していくのか研究 することであり、ひいては妊娠している時期の母体の生理的な変化を観察 することでもあります。中医学ではこれらを包括して「嗣育」と呼ぶこと にしています。この「嗣」とは後代の子孫のことを示しており、「育」と は生育するということを示しています。つまり「嗣育」とは、男女が適当 な時期に結婚して、性生活を営み、子孫の繁栄に導くことを意味している のです。







受孕〔訳注:じゅよう:受胎〕して胎児および胞衣〔訳注:えな〕 【原注:胎盤・胎膜】が分娩されるまでの一連の経過を「妊娠」と呼びま す。またこれは俗に「懐妊」と呼ばれ、《内経》では「重身」と名づけら れ、医書によっては「孕」「妊」「娠」と一言で呼ばれている場合もあり ます。また《左伝》には、『婚後方妊』という語が、《周易》には、『婦 孕不育』という語があります。そして《金匱要略》にいたって、始めて 『妊娠』と呼ばれています。《説文解字》の解釈によると、『妊は、孕む という意味』であり、『娠は、女性が孕んで身が動ずるという意味』であ るとされています。

受胎の日時は判断しにくいものなので、便宜的な計算によって決め ています。臨床的には受胎前の最後の月経の第一日目を妊娠の開始とし、 28日【原注:4週間】をひとつの妊娠月として、妊娠の全過程は10の 妊娠月【原注:40週間】すなわち280日で構成されていると考えます。 妊娠の全過程の期間をもとにして、あらかじめ出産予定日を計算すること ができます。それは、最後の月経の第一日目を計算の基礎とし、その月か ら3を引くか9を加えて【原注:3より月数が少ないとき】月を出し、さ らに日数として7を加えるという計算方法で出てきます。その月数を満た して分娩されるものを「足月産」と呼び、月数を満たして産まれる胎児を 「成熟胎児」と呼びます。もし妊娠の全過程を経ることなしに妊娠が中断 された場合は、「堕胎」「小産」「早産」と呼ばれます。また、妊娠して いる期間が出産予定日より二週間以上超過するものは「過期不産」【原注 :過期妊娠】と呼ばれています。早産や過期不産は、ともに異常な現象で あると考えます。

妊娠時には一般的に、一回に一人の胎児を身ごもります。もし一回 の妊娠で二人の胎児を身ごもっているものであれば、「双胎」あるいは 「駢胎」〔訳注:べんたい〕と呼ばれています。また、一回の妊娠で三人 の胎児を身ごもっているものは、「品胎」と呼びます。一回の妊娠で三人 以上の胎児を孕んでいるものは、ほとんどみることはありません。







中国における妊娠についての研究には、非常に古い起源があります。 すでに紀元前11世紀、《易経》に『天地絪縕として万物化醇 す。男女精を媾(あ)わせて、万物化生す。』〔訳注:天地の陰陽の二気 がもつれ合い一つになることで、変化して万物となり、それぞれの美しい 性質が完成する。男女雌雄が各々の精を一つに合わせることによって、万 物の形に変化生長する。:書き下し・現代語訳もともに本田済注解《易》 繋辞下伝:朝日出版社刊:中国古典選による〕とあります。これは、生命 というものは男女がその精を合わせることによって成立する、ということ を示しています。この言葉は、中医学において生殖について研究していく 上で、基本的な理論的基礎を与えているものです。

また《内経》のなかにも記載されています、『生命の来源を精という。両 精が互いに搏ちあうことを神という』【原注:霊枢・本神】『両神が互い に搏ちあい、合して形を構成する、常に身体に先んじて生ずるものを精と いう。』【原注:霊枢・決気】と。これもまた、男女の腎気が盛になり、 天癸が至り〔訳注:極まり〕、女子の任脉・衝脉が通じて盛になって月経 が順調におこり、男子の精が溢れ出ることによって、陰陽が互いに合し、 妊娠することができる、という理論を説明しているものです。《素問・陰 陽別論》には、『陰が搏ち陽が別れる、これを妊娠しているものとする』 〔訳注:尺位の脉状が強く、寸口の脉状が弱くなっているものを、妊娠の 徴候とする〕とあります。この記述はあまりにも簡単ですけれども、これ は当時すでに生命の起源や妊娠の生理および妊娠の診断についての研究が、 その俎上に上っていたということを示しています。

漢代の《金匱要略》になると、婦産科の疾病について独立して考えるよう になり始め、それによって婦産科に関する研究がさらに進むようになりま した。

隋代になると、胎児の発育状況に関する記載がすでに《諸病源候論》にお いてみられます。

さらに唐代に入ると大きな発展が見られます。《千金要方》の冒頭の巻に は婦人方が掲載されていますし、初めての産科の専門書である《産論》が 著わされた【原注:西暦852年】のもこの唐代です。この書物が世に問 われることによって、後世の産科学の研究は非常に大きな影響を与えられ ました。







中国医学においては、すでに明代に出産予定日の計算方法が示されていま す。李挺(りてん)の《医学入門》には、『気血が充実していれば、十ヶ 月で分娩する。・・・(中略)・・・だいたい27日を1月の数とする。』 とあります。この説で考えると、十ヶ月は270日になりますから、現代 医学で計算している280日と非常に近い値になります。

このように、妊娠に関する記載は歴代の医家によって極めて重視されてお り、後代の研究に大きな影響を与えています。少なくない医書の中で、 「求嗣」「種子〔訳注:胎児〕」「胎教」について専門の章が設けられて 記載されており、その中の多くの観点は、現在から見ても優生保護と産科 に関する保健において、深い意義をもっています。







これからの妊娠についての節では、中医学の基本的観点と理論、そ して実際の妊娠時期の生理的な現象を根拠にして、中医学における妊娠に 関する文献を整理し、妊娠の生理についての試論として次のように考えて みました。









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