受胎






受胎するということ



受胎は、生命が始まるということを意味しています。成熟した男女によ って生殖の精が結合し、それが発育の良い子宮の内部で育まれることに よって、妊娠します。







《類経・臓象類》には、『両精とは、陰陽の精のことである。搏つとは、 交わり結びつくということである。・・・(中略)・・・そもそも万物 が生成する道とは、陰陽が交わることによってその後に神明が現われる ということにほかならない。ゆえに、人の生においても、必ず陰陽の気 を合して、父母の精を交え、両精が互いに搏ち合うことによって、形と 神とが成立するのである。』と説かれ、また『受胎するということは、 まず必ず陰陽が合するということがあってその後に受胎するのである。』 と述べられています。さらに景岳は丹渓の説を引用して、『陰陽が交わ り結び、胎児として凝結する。それを蔵する場所がすなわち子宮である。』 と語っています。中医学における受胎の認識が、ここですでに基本的に 述べられています。

歴代の医書の中の多くには、男子の精と女子の血とが胎児を構成してい ると説かれています。たとえば《格致余論・受胎論》には、『父の精と 母の血とが感応して会し、精が施され、血がその精を包摂することによ って、子供として成長する。』とあります。しかし張景岳は《類経・臓 象類》で、このような観点に対して異議をとなえ、『褚(ち ょ)氏の説(注1)をよく考えると、どうしても釈然としないものを感ず る。男女が互いに合して、両精がゆったりと和合するということに対し て、血が関与することは本来ないからである。しかし胎児ができた後の ことを考えるなら、男性は精をそのはじめての根源とし、女性は血でそ の体を成している。このとき、男性の精と女性の血によって胎児は構成 されていると語ることは、まさに正論である。しかし、男女が性交する 際にすでに、その精が血をくるみ、血が精をくるむと語ることは、まっ たくの誤りである。・・・(中略)・・・もし丹渓が、左右を「陰陽の 道路」という一句で論じ(注2)ているものが、受胎した後のことを指し て語っているのであろうか、そうであるかどうか明確にはされていない。 しかし、左右とあるものが「陰陽昇降の理」のことを意味しているので あれば、それをどうして二股という言葉がでてくることがあろうか。も っともおかしな説に属するものである。』と語っています。景岳の語る ところにはまことに理があるとしなければなりません。(注3)


(注1)褚氏の説:男女が合するということは二精がのびの びと交わるということである。陰血がまず至れば、陽精が後に 注ぎ、血が開いて精を裹(くる)む。精が入って骨となり、男 の形が成立する。陽精がまず入れば、女血が後に参入し、精 が開いて血を裹む、血が入って本となり、女の形が成立する。

(注2)朱丹渓の説:そもそも乾坤は陰陽の情性であり、左右は陰陽の 道路であり、男女は陰陽の儀象である。この男女の陰陽が交わ ると胎児として結ばれ、その蔵される場所を、名づけて子宮と いう。一系は下にあり、上は二股に分かれ、中は二つに分かれ て、その形は合わせた鉢のようである。その一つは左に達し、 もう一つは右に達している。精がその血に勝てば、すなわち陽 が主となり、気を左の子宮から受けて男子が形成される。精が その血に勝たなければ、すなわち陰が主となり、気を右の子宮 から受けて女子が形成される。

(注3)訳者解説:張景岳は褚氏の説も朱丹渓の説も憶説で あるとして退けようとしています。まず、褚氏の説 に対しては、それが、成長しつつある胎児について述べたこと であるなら正しいけれども、性交時にすでにそのような状況が 成立していると考えることは中医の理論的からみて間違いであ るとして退けています。そして朱丹渓の説に対しては、左右を 陰陽の道路と言う理由は、左右が陰陽の昇降する通路であると 考えているためであり、そこからは、朱丹渓の語るような上で 二股に分かれているという言葉が出てくることはない、として 批判しているわけです。(陰陽はもともと和合しているもので あり、便宜的に左右を語っているけれども、実際にはそれを分 けて考えることはできないため)





受胎の条件



中医学において受胎に関する研究は、「求嗣」「種子〔訳注:胎児〕」 といった言葉で非常に詳しく記載されています。







たとえば《褚氏遺著》には、『男女が交わるには必ずそれに 適した年齢というものがある。男子は十六才で精が通ずるが、三十才に なってから妻をめとるべきであるし、女子は十四才で天癸が至るが、二 十才になってから嫁ぐべきである。その理由は、陰陽が完全に充実して から交わりを持つことによって、交われば懐胎し、懐胎すれば胎児を育 てられ、育てて子として出産して、丈夫で長生きできる子を産むためで ある。しかし現在では十五才にも達していない女子が、天癸が始めて至 った段階にすぎないにもかかわらず、すぐ男色に近づいてしまっている。 これでは、陰気を泄らすのが早すぎ、完全になっていな段階ですでに傷 られ、充実しきっていない段階で動じてしまっていることになる。この ような状態では、もし交わったとしても懐胎することはできず、懐胎し たとしても胎児を育てることはできず、胎児を育てることができたとし ても産まれてくる子供は身体が弱くて長生きすることはできない。』と あります。

また、《婦人大全良方・求嗣門》には、『もし子供が欲しければ、まず その夫婦に労傷や痼疾〔訳注:慢性のがんこな病〕がないかどうかよく 診察することによって、それを治療して調えなければならない。そうし て内外の和平がとれてくれば、自然に子供を授かることができる。』と あります。

《広嗣紀要・択配篇》には、「螺」「紋」「鼓」「角」「脉」という観 点から「五不女」をあげています。これは女性の生殖器の先天的な奇形 をあげているもので、そのため交わったり妊娠することができないので、 婚姻するべきではないとしています。

また《万氏婦人科・種子章》でもまた、『胎児を望んで妊娠しようとす るならば、そこに時期があるということを大切にしなければならない。 男性の方は、清心寡欲をもっとうとしてその精を養い、女性の方は、平 心定気をもっとうとしてその血を養うべきである。もしその気候が常態 と反するものであったり、情志が傷られていたり、酔ったり食べ過ぎた り労倦したりすることによって傷られているときは、寝床を同じくして 子供を得ようとするべきではない。』とあります。

また、《大生要旨》には、『そもそも女性は月に一回月経があり、また 月に一日の絪縕の時期が、二時間の辰のときにだけある。・ ・・(中略)・・・これがその時期であり、この時に従って性交をすれ ば、胎児を得ることができる。』とあります。







これらの文献は、もし受胎するという目的を遂げたいのであれば、必ず そこには受胎し易い基本的な条件があるということを説明しているもの です。中医学の理論に基づけば、受胎するための主たる条件は、腎気が 充分に盛であるということです。

《伝青主女科・妊娠》には、『女性が妊娠しようとするさいに、根本と なることは腎気が旺盛であることである。』とあります。

また、《医学衷中参西録・治女科法》には、『男性であっても女性であ っても、生育するためには、必ず腎気によって丈夫になっていく必要が ある。・・・(中略)・・・腎が盛であれば、自然に胎を養うことがで きる。』とあります。







以上のことから、受胎するためには以下の条件を備えることが必要であ ることがわかります。




陰陽が充実していること



男女双方が充分に成熟した年齢となり、その発育が健全であり、男子の精 子が充実しており【原注:成熟しているということは、精液が1CCあたり 6千万個以上あること】、女性の月経が順調であること【原注:月経周期 が正常に安定しており、毎月排卵があること】。




陰陽が調和していること



男女双方が痼疾や労倦によってその精を損傷しておらず、生殖器官に奇形 がなく、性交を妨げるようなものがなく、絪縕の時期に性交す ること。




両精が互いに搏ちあうこと、胎児と子宮



男女双方の生殖の精が搏ちあって精【原注:受精卵】を構成し、それが発 育の良好な子宮に育まれること。このためには、腎気・天癸・衝脉と任脉 ・気血が充分に子宮を養っている必要がある。







そもそも受胎というものは、非常に複雑な生理過程を経ているもの です。これについては現代科学ですでに詳細な研究がなされていますので、 参考にしてください。









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