衝脉の病




《骨空論》に曰く。衝脉の病は逆気して裏急します。



【原注: 衝脉は気街、関元から上行します。ですからこれが病むと、気が逆厥して上行します。衝脉は胸中に至って散じて止みますので、逆気して散ずることができなければ、胸腹の裏に結聚して急引〔伴注:ひきつれ〕します。なぜ裏なのかというと、衝脉が伏して深く流れるためです。

丁徳用は、裏急とは腹痛である、と述べています。けれどもこれは必ずしも痛みだけではなく、ただ急引逼迫するという意味であろうかと思われます。急迫という言葉には、痛みの意味がその中にあります。 】







《挙痛論》に曰く。寒気が客するときは、脉が通じません。通じなければ、気がこれによりますので、喘動が手に応ずるようになります。



【原注: これは衝脉が寒邪によって〔伴注:通じにくくなり〕腹痛することを述べているものです。「脉」とは、衝脉・腎脉を指しています。喘動が手に応ずるとは、腹痛してその腹を按ずると、呼吸に迫って喘動し、その喘動の気が按じている手に応ずるということを述べているのです。

つまり、寒気が衝脉に客すると、衝腎の脉の行路が寒邪によって通じなくなり、通じなくなると逆気が塞がられて痛みとなるため、按ずるとますます塞がられて通じなくなり、逆気がこれによって加わるために喘動して手に応ずるようになるということです。

衝脉は諸々の衝逆を主るためです。 】







《海論》に曰く。血海が有余するときは、常にその身が大きいと想い、怫然としてその病むところを知りません。血海が不足するときは、常にその身が小さいと想い、狭然としてその病むところを知りません。



【原注: 怫然とは、身体が重く滞って、舒びやかではないことを意味しています。

狭然とは、身体が狭くて、広くないということを意味しています。

血海とは、衝脉が十二経の血海であるということを述べているものです。


そもそも血液は、形を充たしているものです。ですから、衝脉、血海が有余である事によって病むときは、常に自身の身体の大きいことを想い、一身が怫然として、その病むところを知らなくなります。もし血海が不足することによって病むときは、常に自身の身体の小さいことを想い、一身が狭然として、その病むところを知らなくなります。

そもそも病が血分にある場合は、深く全身を侵しているので、その苦しむ場所を明確に意識することができません。ですから、血海の病はすべて、その病むところを知りません、と述べられているわけです 】







《百病始生篇》に曰く。その伏衝の脉に著くものは、これを()すれば手に応じて動きます。手を発すると熱気が両股に下って湯を(そそ)いだような状態となります



【原注: 張介賓は、いわゆる伏衝とは、その非常に深いことをもっていい、この文章は、積気が衝脉に集まり著いているものについて述べているものです。と述べています。

つまり、積気が伏衝の脉に著いている場合、積気がある場所を手で揣し按ずると、手に応えてその積が動きます。手を退け発すると、熱気が腹内から両陰股に下って湯を注がれたような感じがします。

これは、東垣の言うところの、衝脉の火熱です。

そもそも衝脉は腎経に並んで陰股に下りますので、熱気が両股に下るわけです。 】







《逆順肥痩篇》に曰く。故に、別絡が結するときは跗上が動かず、動かなければ厥し、厥するときは寒します。



【原注: 別絡とは、衝脉の別絡です。下って内踝の後属に至り、さらに跗をめぐって大趾の間に入って足脛を温めるものを指しています。

つまり、邪によって衝脉の別絡が結滞して、流れにくくなると、跗上の衝陽・太衝の動脉も動かなくなります。動かなくなると衝脉の気が逆して厥します。厥すると、足脛を温めることができなくなるため、足脛が寒えます。

《動輸篇》に、衝脉の別は、諸々の絡に注いで足脛を温めるとあります。

そもそも人は、普通は足脛が温かく、病むと足脛が熱したり寒えたりますが、これはすべて衝脉の気に属するところのものです。世人の多くはこのことを知りません。臨床にあたってはよくこのことを理解しておくべきでしょう。


婦人に髭鬚がないのは、衝任の交脉が営華するには足りないためであるという理論は、前の任脉の條で述べました。参考にしてください。


東垣の家伝に、衝脉の火こそが医家の治療の要道であると述べられています。このことは私が以前上梓した《病因指南》の〈内傷門〉に詳しく弁じてありますので、贅述しません。 】







《痿論》に曰く。宗筋は、骨を束ねて、機関を利することを、主ります。



【原注: 宗筋とは、ただ前陰だけでなく、小腹から前陰に会する場所の筋のことをいいます。これは、諸筋の宗主です。

機関とは、肘や膝の類など全身の関節すべてをいいます。

関節は、筋が聚まって束維しますので、宗筋は諸筋の主として、骨を束ね、関節の屈伸を通利するものとなっています。 】




衝脉は、経脉の海です。【原注:この説は前に述べてあります】谿谷に滲潅することを主り、陽明と宗筋で合します。



【原注: 「谿」は、肉の小会、「谷」は肉の大会のことをいいます。

衝脉は諸々の経脉の血海です。全身の谿谷へ血液を滲潅することを主ります。

足の陽明は衝脉とともに小腹を行き、臍を挟み、衝脉と足の陽明とはともに宗筋に合することとなります。

これによって衝脉の行路を考えてみると、《難経》に足の陽明に並ぶと述べられていることもまた、是とするべきかと思われます。詳しくは前に述べてあります。 】




陰陽は宗筋の会を総じて気街に会して陽明を長とします。すべて帯脉に属して督脉を絡いますので、陽明が虚するときは宗筋が(ゆるま)り、帯脉が引かなくなりますので、足が痿え用いられなくなります。



【原注: 陰陽の、

陰は衝脉を指します。そもそも衝脉は任脉と足の少陰に合するためです。

陽は足の陽明を指していいます。

宗筋の会とは、すなわち前陰です。

気街は、足の陽明の穴で、衝脉の会です。

帯脉は腰を一周して、諸々の足の経はすべてこれに繋がります。

帯脉が引かなくなるとは、帯脉の気が弱まり、足の経を引き持することができなくなるということを述べています。

つまり、衝脉と足の陽明はともに宗筋の会である前陰を総べています。衝脉と足の陽明はともにその脉が気街に属しますけれども、足の陽明経が中心となって前陰を総べて気街に会し、脉の長であり、本となります。

衝脉と足の陽明経はともに、足脛に流れるため、この二経はともに帯脉に属して督脉を絡います。

そもそも陽明は衝脉に合しています。衝脉は会陰に起こり、任督と合するからです。ですから、陽明が虚すると宗筋が縦み弱り、帯脉もまた弱まって、諸々の足の経を引き持することができなくなります。このため、足が痿弱して用いられなくなるわけです。

陽明が虚するというのは、その長をもって述べているものです。実は、陽明が虚しているということは、衝脉もまた不足しています。二脉がともに虚し、宗筋が縦み関節を束ねる〔伴注:力が〕足りなくなり、帯脉が引き持することができなくなるので足が痿えます。

足だけが痿えるのは、腰膝足は身体における大関節であるためです。 】







《脉経》に曰く。両手の脉の、これを浮かしてともに陽があり、これを沈めてともに陰があるものは、陰陽ともに盛であり、これが衝督の脉です。



【原注: 両手の脉を沈めて全くなく、これを浮かべて六部ともに脉があるものは、陽盛の脉です。浮かべて全くなく、これを沈めて六部ともに脉があるものは、陰盛の脉です。浮沈ともにこのようなものは、陰陽すべてが盛んです。これは衝督の病脉です。そもそも督脉は陽脉の主であり、衝脉は陰脉の主だからです。 】




衝督の脉は、十二経の道路です。衝督の事を用いるときは、十二経がふたたび寸口に朝する事なく、その人は、恍惚し狂痴のようになります。



【原注: 左右の脉がともに陽盛でありともに陰盛で、衝督だけが事を用いると、諸々の経はこのために奪われ、十二経の脉が寸口に朝会することができなくなります。このため、その人は、恍惚となって狂痴します。


恍惚とは、ほれぼれとして意識を失うことです。

狂痴とは、狂乱し痴昧することをいいます。

衝脉が病むと、陰経が傷られ、督脉が病むと陽経が損なわれます。陰陽ともに傷損されて収治されなくなりますので、恍惚・狂痴の病となります。 】




また曰く。脉が来ること中央が堅実で(ただち)に関に至るものは衝脉です。



【原注: 尺脉の来る中央が堅実で、径に関に至るもののことでしょうか。これが、衝脉の衝上の脉状であろうかと思います。 】




ややもすれば少腹が痛み、上って心を衝き【原注:衝脉は少腹から上行して胸中に散ずるためです】、瘕【原注:癥瘕】疝・遺溺・脇支満煩に苦しみます。



【原注: 衝脉は血海です。癥瘕は経血が調わないために生じます。衝脉は会陰に会しますので、遺溺の病となります。また衝脉は臍を挟んで胸中に散じますので、胸脇支満して煩悶するといった病となります。 】




女子は不妊となります。



【原注: 衝脉は十二経脉の血海であり、諸々の精を受納しますので、衝脉が病むと不妊となります。 】




また曰く。尺寸ともに牢。直ちに上り直ちに下るものは、すなわち衝脉です。



【原注: 尺寸ともにその脉が牢実で、尺脉が直ちに寸に上り、寸脉が直ちに尺に下るものは、すなわち衝脉の病脉です。

これは《難経》に述べられている覆溢の類ではないかと思います。 】




胸中に寒疝があります。



【原注:このようなものには、胸中に寒疝の病があります。】







李瀕湖が曰く。臍の左右上下に、築々然【原注:築々然とは、気が痛み動じて、築くようなものをいいます】。牢にして痛みがあるものは、まさに衝・任・足の少陰・太陰の四経が病んでいるものです。



【原注: そもそも臍の左右上下に動気があるものは、多くは衝脉の病です。もし衝脉の本病ではなくとも、その邪が衝脉に兼ねていると述べているものです。

世医は、これに関して明確に理解していません。李時珍の説は、病状を深く理解し、後学を教導せしむる重要な言葉です。 】










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