陽維脉




【原注: 陽維・陰維の脉の行路は、《素問》《霊枢》では明確になっていません。越人が《二八難》で始めてその脉の行路について述べています。陰陽の維脉は諸々の十二経を維持(つなぎたもつ)して全身の諸経を「カタメタル」ものです。ですから陽維は、手足頭背の陽部に周行して、諸々の陽経を維持し、諸々の陽経の綱維となります。

楊玄操は、維は維持という意味です。この脉が諸脉の綱維となるため、維脉と呼んでいるのです、と述べています。 】




陽維脉の図






《難経・二八難》に曰く。陽維脉と陰維脉とは全身を維絡します。ですから陽維脉は諸陽の交会に起こります。



【原注: 陽維と陰維とは、全身を維絡(つなぎまとふ)するものですので、陽維脉は諸々の陽経の脉会に起こり流れます。その起こるところの行路は、下文の滑伯仁・李瀕湖の説によって理解して下さい。 】







滑伯仁が《難経本義》で曰く。陽維の発するところは【原注:脉気の発源について述べています】、金門から別れ【原注:金門穴から別れ出ることを述べています。金門は足の太陽の本穴で、外踝の下一寸五分にあります】、陽交をもって郄とし【原注:郄の注は以前述べました。陽交は足の衝陽の本穴で、外踝の上七寸にあります】、手足の太陽および蹻脉【原注:陽蹻脉】と臑兪【原注:臑兪は手の太陽の本穴で、肩の後ろ、大骨の下、胛の上廉にあります】で会し、手足の少陽と天髎【原注:天髎は手の少陽の本穴で、缺盆の上、比骨の際の陥中にあります】で会し、足の少陽と陽白【原注:《十四経発揮》にはこの句の冒頭に、その頭にあるものです、という字句があります。陽白は足の少陽の本穴で、眉の上一寸にあります】で会し、本神・臨泣・正営・脳空に上り、下って風池に至り、



【原注: 以上の五穴は足の少陽の本穴です。本神は曲差の傍ら一寸五分、臨泣は瞳子の直で髪際を入ること五分、正営は臨泣の後ろ二寸、脳空は承霊の後ろ一寸五分、風池は耳の後ろで脳空の下、髪際の陥中にあります。

《十四経発揮》では、上って正営に至り脳空をめぐる、としています。 】




督脉と風府・唖門で会します。【原注:風府は項の髪際を入ること一寸、唖門は項の髪際を入ること五分にあり、ともに督脉の本穴です】

このように陽維は、諸陽の会に起こります。



【原注: 以上は、陽維の脉気は、諸々の陽脉の会するところに起こるというのは、このようなものであるということです。


《十四経発揮》には、陽維の脉気が発するところはすべてで二十四穴です、とあります。

滑伯仁の説は詳細ですけれども、ここで述べられている陽維の行路と穴の順番は、正確さに欠けるように思われます。

また、陽維は諸陽の会に起こるわけですから、手足の六陽の脉のすべてと会すべきです。どうして手足の太陽・少陽とだけ会して陽明とは会さないのでしょうか。このため瀕湖李時珍は、この行路をよく考え、その穴の順番を正して、手足の六陽の脉のすべてに会通させました。非常に明白であるといわなければなりません。 】







李時珍が曰く。陽維は諸陽の会に起こります。その脉は足の太陽の金門穴に発し【原注:穴位についての細注は原文にありますけれども、すべて私が上文で細注したものと同じです。そのため贅述は避けます。上文の滑伯仁の説にないものだけに、細注を残してあります。】、足の少陽に陽交で会し、陽維の郄とします。膝の外廉をめぐり、髀厭【原注:髀厭は腰と股との関節の横紋にあります。足の少陽の環跳の分です。】に上り、少腹の側に抵り、足の少陽に居髎【原注:章門の下八寸、監骨の上の陥中にあります】で会し、脇肋をめぐり、斜めに肘上に上り、手の陽明・手足の太陽に臂臑【原注:肘の上七寸、両筋の隙間の陥中、肩髃の下一寸にあります。臂臑は手の陽明の本穴です】で会し、肩前を過ぎ、手の少陽と臑会・天髎【原注:臑会は肩の前廉、肩の端を去ること三寸宛々たる中にあります。手の少陽の本穴です】で会し、かえって手足の少陽・足の陽明に肩井で会し、肩後に入り、手の太陽・陽蹻と臑兪で会し、



【原注: 臂臑と臑兪とは手にあり、天髎と肩井は肩にあり、臑兪は肩胛にありますので、ここまで李時珍が述べている順番は、前後が交錯しているように思います。脇肋をめぐって臑兪に先に行くとするべきでしょう。臑兪から斜めに肘上の臑外に出て臂臑で会し、上って臑会・天髎・肩井に会し、肩井から風池・脳空に上るとすると、経脉の行路、腧穴の順番がより正しくなるのではないでしょうか。 】




上って耳の後ろをめぐり、手足の少陽に風池で会し、脳空・承霊【原注:正営の後ろ一寸半】・正営・目窓【原注:臨泣の後ろ一寸】・臨泣を上って、額に下り、手足の少陽・陽明の五脉と陽白で会し、頭をめぐって耳の上に入り、本神に至って止みます。全部で三十二穴です。



【原注: 陽維脉の発するところの穴は、滑伯仁は二十四穴とし、李時珍は三十二穴としていますが、それは、風府と唖門を除き、居髎・臂臑・臑会・承霊・目窓の十穴を加えて全部で三十二穴としたものです。まことに是とすべきところでしょう。


ある人が聞いて言いました。陽維は諸陽の会に起こりますが、陽脉の都綱である督脉とも会するべきなのではないでしょうか。このため滑伯仁は、風府・唖門を陽維に会せしめたのではないでしょうか。どうして李瀕湖はこの両穴を除いているのでしょう。

答えて曰く。諸々の鍼灸家の書には、風府・唖門は陽維の会であると述べられています。このため滑伯仁はこの二穴を数えているわけですけれども、この二穴を通過するようにすると、経脉の流れが曲がってしまいすっきりしません。そのため李時珍は、この二穴を除いているのでしょう。

任脉の天突穴は陰維脉の会です。督脉の大椎穴は諸陽の会として前の天突穴とあい対しています。ということは、陽維脉の行路も、天髎・肩井から督脉の大椎に会して風池・脳空に上るとするべきなのではないかと、私は考えています。

けれども、大椎が陽維の会であるという文言は、諸家がまだ述べていないところのものです。ここに述べおいて、後学の再論に期したいと思います。 】










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