そもそも八脉は、十二経脉の余りの脉です。このため、秦越人は、『人の脉が隆盛であれば八脉に入り環周しません。このため、奇経八脉は十二経もまた拘わることのできないものとなっています。溢蓄して諸経に還流し潅漑することのできないものです。』と述べています。
つまり、人の十二経脉が隆盛であれば、奇経八脉に入り、再び十二経へ環周しません。ですから、奇経八脉は、十二経でもまた拘わることのできないものです。奇経に流れていく血脉は、ただここに溢蓄して諸経に還流し潅漑することのできないものです。であれば、奇経はこの十二経脉の余りの脉であることは明らかです。このため、古代から十二脉については引経報使・補瀉温涼の薬品はありますけれども、八脉については引経報使・補瀉温涼の剤があることを聞いたことがありません。
そもそも、督脉は背中を流れて諸陽を
督脉と陽蹻との引経報使・補瀉温涼は、足の太陽膀胱経の引薬と同じでしょう。上行させる薬は督脉に引き、下行させる薬は陽蹻に引きます。
任脉と陰蹻との引経報使・補瀉温涼は、足の少陰腎経と同じでしょう。上行させる薬剤は任脉に引き、下行させる薬剤は陰蹻に引きます。
衝脉を、上行させるものは足の陽明・足の少陰に並び、下行させるものは足の少陰だけに並びます。また、衝脉を血海として見るときは、足の陽明・足の少陰に引経する血薬は、衝脉に引経する薬剤でしょう。また、衝脉を下行させるものは、まさに足の少陰経の引薬と同じでしょう。
陽維は諸陽の会に起こりますけれども、発するところは足の太陽にあります。また、陽維が行くところの、肩井・風池・脳空・承霊・正営・目窓・臨泣などは、すべて少陽の穴です。ですから、陽維を下行させるものは足の太陽経の引薬と同じであり、上行させるものは足の少陽経の引薬と同じでしょう。
陰維は諸陰の交わりに起こりますけれども、発するところは足の少陰にあります。また、陰維が行くところの、府舎・大横・腹哀は、すべて足の太陰の穴です。ですから、陰維を下行させるものは足の少陰経の引薬と同じであり、上行させるものは足の太陰経の引薬と同じでしょう。
帯脉は、章門・帯脉・五枢・維道に行きますので、帯脉の引経の剤は、足の厥陰・足の少陽の引薬と同じでしょう。
以上が、八脉の引薬が特別には存在しない理由です。
ある人が聞いて言いました。先生が言われることは、まことにそのとおりと思うのですが、その根拠を聞いてはおりませんので、信ずるにはまだ足りません。どうかその根拠をお教え頂けないでしょうか。
答えて曰く。督脉の病で、脊強ばり厥するものに、王海蔵は、羗活・独活・防風・藁本などを用いよと教えています。これらはすべて太陽引経の薬剤です。張潔古は、陽維の病を解釈して、桂枝・麻黄湯の証としました。これはともに足の太陽の表薬です。また李東垣は、衝脉の火を清す際、常に黄柏を用いました。黄柏は、足の少陰経の薬です。
これらはすべて私が採用したところのものですが、奇経の引薬はその合併されている十二経の引薬と同じであることは明らかなことであると思います。
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