附録 営衛三焦 第六節 三焦




万物の道というものは三を用いて立てるものです。三とは上 中 下、形でいうと天地万物であり、気でいうと陽気 陰気 造化の気です。

人は天地に配して小天地とします。ですから人は物より霊的であり、また三を用いて生を保ちます。その三とは何かというと、上焦 中焦 下焦の気です。上焦は宗気の集まるところ、中焦は営の注ぐところ、下焦は衛気の発するところです。この宗営衛の理については右に弁じたとおりです。また宗営衛をめぐらしているものはなんでしょうか。相火です。宗は営に従ってめぐり、営は宗に従ってめぐります。《営衛生会篇》で考えてください。衛気は下焦の陰中の陽〔訳注:すなわち命門の火〕から発して自ずから【原注:みずから】よく運行します。けれどもこの三気は、相火がなければめぐることはできません。

日月は水火の精気であり、これを運動させるものは相火です。五行であって六行ではないのは、相火が五の間を遊行しているからです。木の発生、金の収斂、土の長茂、水の閉臓はすべてこの相火のなすところです。







相火とは何なのでしょうか。君火は明を以てし相火は位を以てします。君火は万物を資し〔訳注:助けて〕生じさせる火であり、火の気です。相火は直接的な火の質です。虚空に生じて常には〔訳注:ふだんは〕見ることができません。その変のときにあらわれるものです。龍雷の火は相火です。天はこの相火によって万物を造化しますけれども、常においては見ることができません。龍雷の変によって相火であることが見えます。人身においてもまたその通りで、相火が全身に充ちていても、常においては見ることができません。変によってみることができます。陰虚火動のようなものはその変によって相火の動きを見ることができたものです。

天の相火は常に天地の間の太虚の空隙〔訳注:すなわち六合:宇宙空間〕に遊行しています。ですから人身においてもまた筋肉臓腑の空隙の全身に遊行しています。これを名付けて三焦とします。三は三才という意味で、上下左右を総べるということ。焦は焦蒸 薫焦という意味です。相火は全身に充ちていて至らないところがなく、全身を焦蒸 薫焦して宗営衛の三気をめぐらし、身体を温め、水穀を腐熟し、神精を養育します。ですから《営衛生会篇》に『上焦は霧のようであり、中焦は漚のようであり、下焦は瀆のようです。』と述べられているのです。

その外の経の諸篇には、上焦においては宗気のことをいい、中焦においては水穀の腐熟と営のことをいい、下焦においては糟粕水液の滲泄することと衛気のこととをいっています。別に三焦の理はありません。このことからも理解できるのは、三焦はもともと相火であって、それ以外のなにものでもないということです。ですから越人はその二十五難に、『心包と三焦とはともに名前はありますけれども形はありません』と述べているのです。後世、一生懸命三焦と心包の形があることについて論じますけれども、反って経の本意ではなくなっています。

三焦は相火の無形の陽です。身体に充ちて生を保つ造化の一気です。どうしてその形があり得るでしょう。けれども形があると言うのも、まったくいけないわけではありません。どうしてかというと、相火が遊行する位置でみると、三焦には自ずから形があるようにみえるためです。張景岳〔訳注:明末清初:易水学派:1563年~1640年〕や虞天民〔訳注:1438年~1517年〕の説などはともに三焦には形があるとします。その論には、『臓腑の外、筋肉の裏。これが三焦です。筋肉の裏は、その色は赤く、陽気がここから薫じて全身を温養します。これが宗営衛を運行する場所であり、全身を総べる場所です。何なのでしょうか。これこそがすなわち三焦の形なのです。』と述べられています。

このように見ると実に三焦には形があるようにみえますけれども、これは実は三焦の形ではなく、相火が遊行している場所を見て述べているものです。たとえば器に水を盛って日月の光を受けると、円然たる白光が水中に映っています。その影を望み見れば、実に日月の形が水面に浮かび上がっているように見えますけれども、これは実は日月の形がその水中にあるのではなく、ただ日月の気の影が映っているだけのことです。この二人の説は相火が遊行している場所を見てそれをそのまま三焦の形であるといっているものです。その気が遊行する場所から見ると、三焦にも形があるようにみえます。これを三焦の相火の気から見ると、形はなくてただ気があるだけです。ですから実は形がないものであっても、それを形があると言うことも、まったくいけないわけではないわけです。







営衛は離れることはありませんけれどもまた、始めから相従っているとみることはできないものです。三焦もまた始めから形があるとみることは、経の本意ではありません。

心包においてもまた形があるということを、滑伯仁は《十四経発揮》に始めて著しています。心は心主の臓であり、神は生の主です。ですからその臓は赤裸ではなく、細かい筋膜があってこれを包んでいます。その包むところの筋膜を指して心包としているわけです。張景岳もまたこれに従っていますが、実はこれは心包の形ではありません。神は君主の官で神明が出ますから、その臓は赤裸ではなく筋膜で包まれています。これが幸い心包の名に合するからといって、そのまま心包の形であるとするのは誤りです。心は君火の臓ですから、相火は心の外に集まります。その集まるところが幸いにもかの細筋の位置なのです。これもまた三焦の理と同じように、実は心の君火に代わって事を主る相火なのです。けれどもその気の集まる位置をもって形があるとみることもまた、まったくいけないというわけではありません。ただ形がないとみることが経の本意には合しているということです。

愚は密かに三焦心包の有形無形の理について考えています。実は二つとも無形の相火の一つの気ではありますけれども、その形がないと見ることもできません。形があると見ることもできません。形があるとすれば形があり、形がないとすれば形がないのです。有形か無形かを決定してしまうことは、経の諸篇の理を硬くて通じ難いものとしてしまうのではないでしょうか。



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