もともと手足末端の冷えがつよく、生理痛もきついというように、非常に強い肝鬱があったのではないかと思われる。また18歳の時のムチウチがきっかけで首の凝りが起こり始めた。強い肝鬱と気滞血瘀の状態が素体であると考えられる。
23歳の頃には、子宮内膜症の治療で生理を止める必要が生じる。
通常であれば生理がおこることによって、一定の瘀血が解消されるはずである。
しかしながら強い肝鬱があったために月経周期に伴う気血の大きな傾きを腎気が支えきることができず、肝鬱がより強くなり瘀血を生じやすくなったため、月経周期をとめ、気血の大きな傾きをとりさり腎気への負担をとることで、強い肝鬱が生じにくくなり、子宮内膜症の進行が抑えられたのではないかと思われる。
24歳の頃には生理前やめがねを長時間かけたときに頭痛が生じるようになった。 強い肝鬱と気滞血?の状態が継続しているため少しずつ腎気に負担がかかり、 生理の前やめがねを長時間かけたときなどの、腎気を踏み台にして肝気を高ぶらせた状態になると、腎気の支えが不足し肝鬱がより強くなり頭痛が生じたものと思われる。
31歳の時に、子宮内膜症のために再度生理をとめ、生理周期に伴う身体への負担を取り去り腎気を救い瘀血の進行をくいとめたのちに妊娠、33歳で第一子出産。これにより瘀血が少し改善されチョコレート膿腫がみあたらないほどとなり第二子の妊娠出産へとつながった。
しかしながら、第一子出産後から、腎気が一段とおち全身の気虚が進んだため、食欲が落ち、副鼻腔炎や咳が生じやすい状態になった。
第二子は無事に出産したものの、落とした生命力を回復するような状況ではなかったため、上焦における首肩の凝りは継続、時間を経るにつけ悪化。また特に下焦における瘀血の状態は、排卵周期にともなう腎気、肝気の傾きによってより進行し、42歳の時には、妊娠を希望するも生理前には膀胱横の腫瘤も大きくなり、生理を重ねる度にだんだん大きくなってしまっている。
弁証:腎虚を中心とした気虚 瘀血
論治:補腎 疏肝理気
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