天地陰陽が化生するということは、人々の性命の根本を日々生ぜしめるということである。
人々の性命を補救するための妙用を把握するということは、自分の道を天の大権の代理人とするようなものなのである。
ところが、もしこの理を真に理解することができなければ、湯に氷を加えて用いたりして、人々に反って損害を与えてしまうことになるということは、言うまでもないことである。
私はこの道を志してより朱丹渓の「陽有余陰不足の論」を読んできたが、どうしてもその考え方に納得することができなかった。
三十才になった頃から徐々に疑いと信用が半々ほどになり、四十才になった頃に始めて、それが大いなる誤りであると理解できた。
そのため私は《類経》〈求正録〉の中で附録として〈大宝論〉という一篇を設け、その誤りを指摘し人々に知らせようとした。
しかしその見解はまだまだ浅く、私の言葉もまだ偏っていたり足りない部分が多かった。
そのゆえに後世に害を残すことを畏れ、いつも疑問を抱きながらも、高明な人物がこれを正すことを長い間望んでいた。
心ならずも《類経》は版を重ねること数版、しかしその篇を削除することはしなかった。
ただ明賢なる人物が現われることを信じ、密かに心を慰めてきたのである。
そしてこの丙子の夏、始めて神交の一友を得ることができた。
彼は私にいくつかのことを教えてくれた。
その姓氏を聞いたところ三呉の李氏ということであった。
彼はその《指南》を誦読して、
「陽は常に有余し、陰は常に不足するというのは、朱丹渓が立てた確かな論です。
しかし、あなたは彼の論に対して、陽は常に不足し陰は常に有余すると言われました。
どうしてこのように、真っ向から反対のことを言われるのでしょうか。
あなた自身が良しとする所はそれで良いですけれども、どうしてそこで自分の論を強張して、自分自身をさえも幻惑するようなことをされるのでしょうか。
そもそもあの内容とは別のところに、真実があるのではないでしょうか。
今はあまり余計なことを言わず、どちらが正しくどちらが誤っているのかということを考えていきましょう。
人の成長過程について考えていけば、その是非はすぐに見えてきます。
たとえば、人が生まれてから、男は十六歳で精が始めて通じ、女は十四歳で月経が始まります。
衰え方は、男の精が竭するのは六十四歳で、女の血が浄まるのは四十九歳です。
このように精と血はすでに去っているのにすぐさま死ぬわけではない理由は、ただ気が存在するからです。
気は陽であり、精血は陰です。
精血は気の後にやって来て、気より先に去っていきます。
精がすでに無くなっているのに気はまだあるのですから、陰は常に不足して陽は常に有余するということの、証明となるのではないでしょうか。
このように考えていくと、先賢が言われたことはやはり確かな真理であり、あなたが語ったことはやはりあまりに安易であったと言えるのではないでしょうか。」と語った。
私はこの説を聞いてますます悲嘆にくれた。
この言を悲しむ理由は、それが人々に理解し易い言葉で独善的に語られ、私の説を根本的には批判してはくれていないからである。
これでは紫のものも朱いとし、理を乱す本となってしまう。
これを問題とせずに放置すれば、人々が長い悪夢から醒めることができなくなってしまう。
性命は非常に貴重なものなので、私はこのような説が横行するのを悲しまないことはできないのである。
けれども、この悲しみは、実はそのまま喜びでもある。
これを喜ぶ理由は、道がますます精緻となることであり、あくまでも《経》を追究していけば、最後にはその正しさをはっきり理解することができるからである。
私は幸にもこの説によってその端緒を
これを私は非常な喜びであると思う。
それでは、李氏の言に対して分析を加えていきたい。
精を陰とし、気を陽することは、間違いではない。
しかし、その観点が非常に狭いため、全体を見渡して判断することができないのである。
精はそもそも水であり、水はすなわち陽であるということが理解できないのだ。
もし水と火とで語るなら、水は真に陰であり、火は真に陽である。
もし化生によって語るなら、万物の生は全て水から始まる。
先天であろうと後天であろうと全てはここに基づいているのである。
その上で、水は陽が化したものと語ることができるのである。
どうしてだろうか。
水は五行においては一天に生じ、六気においては太陽に属する。
水は陽に発するのである。
これでも水は陰であると言えるだろうか。
さらに、人身における精が、盛であれば陽〔訳注:男根〕が強く、衰えれば陽痿となる。
これでも精は陰であると主張できるのだろうか。
また養生家においては純陽を重んずるけれども、この純陽の陽とは精のことである。
精がポタポタ洩れ出るような状態のものが、陽気に満たされているとどうして言えるだろう。
これでも精は陰であると主張できるのだろうか。
また仙丹の書に、
「陽が分かれきらなければ死ぬことはない。
陰が分かれきらなければ仙人となることはない。」
とあり、
さらに、
「仙人は必ず純陽である」
と書かれている。
もし李氏の言うとおりであるならば、陰である精をどんどん泄らしていけば、仙人になり易くなることになる。
しかし、そんなバカなことはあり得ない。
このように李氏の見解は、陰陽のごく一部だけを見て陰陽の全てを見てはいないものなのである。
陰陽の道の大綱として言えば、その位〔訳注:位置・場所〕は天地に育つ。
綱目として言えば、縷析秋毫の大いなるものから小さなものに至るまで、全てに向かってそれらを化していく。
もし清濁を対応させて言えば、気を陽とし精を陰とすることも、陰陽の一つの綱目となる。
もし生死の集散という観点から考えていくならば、精血は陽から生じ、気は陽を得てはじめて活動でき、陽を失なって死ぬ。
これが性命の化源ということであり、これが陰陽の大綱である。
人の生を草木に例えてみよう。
草木は初め苗から生じ、継いで枝葉を生じ、さらには花実を生ずる。
それから枯れていき、花実が落ちて枝葉が残り、徐々にしなびていく。
このように草木には盛衰する時期があるため、生・長・化・収・蔵という言葉によってその時期その時期の状態の違いを表現しているのである。
人の生もまたこれと同様、初めに赤子として生まれ、継いで精血を生じ、さらには男と女とを生ずる。
そして老いていき、精血が去り形が残り、徐々に死を迎えるにいたる。
このように人生の盛衰にもまたその時期があるため、生・長・壮・老・已という言葉をによってその年代の違いを表現しているのである。
ここから理解することができるように、幼少の時期から老齢に至るまで、生あるものは必ず精気を主としている。
であれば、一生の生気はやはり陽気を主としているのであり、そこに、初期とか中期といった違いがあるだけのことである。
もし人の生が最も充実している時期を陰が最も盛な時期であるとするならば、花果がなっている状態が草木の陰が極まっている状態であると考えることになる。
また枝葉が枯れきっていなければ、草木の陽気がまだ残っていると考えることになる。
人の陽気は、百歳で内にある天年を尽したことになる。
しかし現代においては天年を尽してから亡くなる人の数がどれほどあるだろうか。
百歳にも至らずして死んでいく人々は、全てその生気が及ばなかったと見ていいのではないだろうか。
であるならば、どうして陽が有余するなどと見ることができるだろう。
陽が強ければ長寿となり、陽が衰えれば短命となるのである。
陽が有余しているなどと語ることができようか。
得難くして失い易いもの、これが陽である。
失ってしまえば復し難いもの、これが陽である。
陽が有余するなどということは、有り得ないのである。
《霊枢・天年》に、
『人生百歳にして五臓皆な虚し、神気皆な去る。
形骸独り居りて終るなり。』
とある。
この形は陰であり、神気は陽である。
神気が去って形がまだあるということは、陽が常に不足するためである。
にもかかわらず陽は常に有余すると言うのはどうしてだろうか。
精気の陰陽について、分けて言うことのできる部分もあるが、分けて言うことのできない部分もある。
分けることのできるものは、前に言った清濁の対応関係などである。
分けることのできないものは、修煉家が精・気・神を三宝と言って貴ぶような場合である。
先天の気は、神に基づいて気と精を化し、
後天の気は、精に基づいて気と神を化す。
この三者の化生は互いに根差しており、本来同一の気である。
このためこの精・気・神の三者を分けることができないと語るのである。
ゆえに、精を治療することが上手なものは、精の中の生気を動かして気を治療し、気によって精を生じさせる。
ここにも自然に、分けることができるものと分けることができないものとの間の妙用が、考えられているのである。
また、寒熱の陰陽などは、明確に分けていかなければならないものである。
寒の性質は氷ののようなものであり、熱の性質は炭のようなものであり、氷と炭とでは互いに譲り合うことがない。
そのため、決して混同して用いることができないのである。
だから私は、
「精気の陰陽は分けて考えてはいけない。
寒熱の陰陽は混同して考えてはいけない。」
と言うのである。
これは医家の先ず第一に考えておくべき、法である。
この精血の陰陽とは、先天的な元気のことであり、
寒熱の陰陽とは病気を治療する際の薬餌のことである。
ところが現在では、
常に不足することを畏れるべき元陽を有余と把えて火と言い、
生気を傷るような苦寒の薬を補剤と考え、
それを用いて滋陰剤としているのである。
ああ!牛山の生気でさえも有限なのに、窮まりない陰剥に誰が耐えることができようか。
黄連を服用した幼児の訴えをまともに聞いた者が、この四百年間あっただろうか。
非常に優秀な人物である朱丹渓でさえもこのようなことを言っているのであるから、それ以外の人々は推して知るべきである。
古人は、「聖人の書でないならば読むべきではない。」と言っているが、これこそまさにその最たるところである。
天地陰陽の道は自然に和平をとるのが本来の姿である。
もし少しでも平ではないところがあるなら、災害をおこすようになる。
このように考えるならば、私が語っている、陽は常に不足するという論も、一つの偏った見方にすぎない。
しかし丹渓の補陰の説の誤りに対して一言しなければ、万世にわたる生気を救うことができなかったために、このような言い方をしたのである。
人の重んずべきところのものは生である。
何によって生きるのか。
陽気である。
陽気が無ければ生は無い。
もし長生きをしようとするならば、この陽気を宝として大切にし、陽気が欠けることのないよう、日々気をつけていかなければならない。
このように全ての人々が心がけてくれるならば、私が陽は常に不足すると語ったことも、ただ性命を惜しむ者の単なる杞憂ということに治まるであろう。
もしこの論を再び否定するような言辞をなすものが現われたならば、明賢なる者が再び論破してくれることを祈っている。
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