張景岳の三焦論



張景岳は、前々回、歴代の三焦論で勉強したとおり、三焦論に関してもっとも深い洞察を持っていた医学者の筆頭に上げられるのではないかと思われます。そこで、今回は、張景岳の三焦論が、どのように形成されてきたのかを見ていきたいと思います。

張景岳は、《三焦包絡命門弁》という文章を書いた後、さらに三焦に関する研究を進め、《景岳全書》に〈命門余義〉を、《質疑録》に〈論右腎為命門〉〈論命門之火不可診於右尺〉〈論三焦有幾〉という論文をそれぞれ発表しております。

以下、《中医歴代医論撰》〈江蘇科学技術出版社〉に記載されている、張景岳の三焦論のまとめを訳出しておきます。





張景岳における命門学説の主要な論点を総合的に見てみます。

命門は元気の根であり、水火の宅であり、腎の蔵精する場所である、これを命門と呼んでいます。精がここに蔵されるということはこれが陰中の水であるということであり、気がここに化されるということはこれが陰中の火であるということを意味しています。この故に、命門は両腎の間に位置し水火をともに兼ねるものと考えられるわけです。『命門の火はこれを元気といい、命門の水はこれを元精という』。命門の水火は性命の本であり臓腑の化源です。『五臓の陰気はこれを滋養することはできないわけではなく、五臓の陽気はこれを発することはできないわけではない。』。この言葉に従って、張景岳の学術的な観点は、その重心を「元陽」と「元陰」(あるいはまたこれは「真陰」「真陽」とも呼んでいます)の二点に置かれていくことになります。そして、この、元陰元陽が腎における命門の水と火に属するという発想からさらに彼は一歩進め、「陽非有余」陽は有余しているのではなく「真陰不足」真陰が不足しがちなのだ、という観点に帰着することになります。





この他の論点を一応まとめておきます。

他の論点とは、命門は火に属するということと、命門は子宮の門戸であるということです。

命門は火に属するということに関して彼は、『両腎は水に属し、陰陽の区分があります。命門は火に属し、二陰の中に位置します、』と語りまた、『命門には火候がありますので、これを元陽といいます。すなわち生物の火です。』と語っています。

命門は子宮の門戸であるということに関して彼は、命門は、『すなわち女性における子宮の門戸です。子宮とは腎臓が精を蔵する府であり、まさに関元気海の間にあり、男は精を女は血をここに集めます』と述べ、さらに、『子宮の下に一門があります。これは女性においては手でこれを探ることが出来ます。俗に人はこれを産門といいます。男性においては精を泄らす時にこれを自ら知覚することができます』と述べて、これがすなわち命門であるとしています。





2001年 6月3日 日曜   BY 六妖會




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