五行・十干・十二支

《五行大義》を中心として







《五行大義》は、先秦から隋に至るまでの五行説を収集し、整理分類した書物です。 選者の名前は蕭吉(530年頃~610年頃)、六朝時代の梁の武帝の兄にあたります。隋(581~618年)の文帝と煬帝とに仕えました。

《五行大義》という書物は、宋以降、支那大陸ではすでに佚亡(いつぼう)していますが、日本にはすでに伝来しており、平安時代の貴族文化に大きな影響を与えたといわれています。現在有名になっている、陰陽道にも、大きな影響を与えています。

ここでは、総論・五行、干支の骨格だけご紹介します。




○五行○ 陽(兄:え)陰(弟:と)



「えと」と読まれる干支は兄弟すなわち陰陽という意味です。五行と陰陽とが組み合わされて十干ができているわけです。つまり天干を代表させて「えと」と呼んでいるわけですね。

『万物には、自然に形体と性質とが具っている。聖人はその類(たぐい)にかたどって、その名を決めた。そこでその名は、形体を定めるのだ、と云っている。名のないのは、それは天地の始めの時であり、名のあるのは、それは万物の由来によったのであり、その事物がそれぞれ作用することによって、名前をつけたのである。礼記、内則に「子供が生まれて、三ヶ月し、笑うようになって、その子に名をつけるのだ。」と言っている。まだ生まれない時には、もともと名字はないのである。』

《五行大義》の中の〈五行の意義〉の冒頭です。

ここには、存在する「もの」とその「名称」とを、支那の古代思想ではどのような関係性で把えていたのか、というあたりのことが明確にされています。

素材としてそこに存在している万物と、それを類別して名づけていく聖人。そして、名づけられることによっていよいよその存在が明確にされていく万物個々の有り様。そういう意味ですね。

この思想の背景には、

1、名のない万物を客観化し類別して整理することが聖人の大きな能力である、すなわち凡人はそれまで名もない万物に埋もれて自身も無名として生きてきたのであるということ。

2、万物を客観化することが一つの意識の目覚めであるということは、すなわちそこにおいて聖人が天地と分離し人が大自然と分離しそれをコントロールするという能力を手にするということを意味します。

3、そして、自身を主宰者として位置づける大きな証拠として、万物を「類別」し「名づける」という整理機能を発揮するということがあるのであると、述べているわけです。この大いなる行為を原文では『無名乃天地之始、有名則萬物の由』と作られています。

4、この「由」の文字は重要ですね。すなわちただの思いつきや分類癖や高尚趣味によってこれが行われたのではなく、存在する各々の物たち(萬物)の個々の存在様式とその機能をよく見極めたうえで類別し名づけていったという、深く慎重な観察(聞くという行為)が、聖人の基本的な素質の一つとして前提にされているのだ、ということを、この一文字は示しているためです。これを逆に言うと、物には各々それに相応しい名前があるのであって、物そのものが語る聲を、きちんと聞く能力を持っていることが、聖人の基本的な資格の一つであるということですね。これは大自然と遊離した「文明」を身につけ、既に分類され断片的な言葉の集積として存在している「知識」に翻弄された後代の我々にとっては、よほどの修行をもってしなければ及びのつかない能力であるということが理解されるでしょう。禪で言われる「不立文字」という言葉の深さが眼前に岐立してきますね







これを読んでふと思い浮かべたものがあの有名な《ヨハネの福音書》の一節でした。


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

《ヨハネによる福音書》〈言が肉となった〉

少し引用が長すぎますが、「言」という文字に普遍性を持たせられており、ヨハネによって福音として語り出されたその「言」のなんとも情緒的ななまめかしさをいったいどう解釈すればいいでしょう。また、日本語としても異様な文章であります。「言」は、初めは妖精のように神と共にあり、万物を成立させる神のような基盤でもあり、「みこと」のように人の生命を照らす光であり、しかも自身を信じるものと信じないものとを弁別するという。つまり、「言」はそれ自身の普遍性を自身によって否定し、価値判断を人間に委ね、それによって人を裁こうというのである。そして、この「言」によってキリストが肉体化して出現するということが、「恵みと真理」であるというに至っては、悪魔的な矛盾と自己撞着とがここに存在するということを意味しているものとしか言えないではないでしょうか。







という第一印象の下、ネットでこの「言」原語で「LOGOS」について調べてみました。たくさんのサイトがヒットしました。

曰く:
「計画」「知恵」古代ギリシャ
「論理・秩序・理性・言語」「科学や学問という意味はない」言語学者
「初めに論(理)があった。論(理)は神とともにあった。論(理)は神であった。」「儒教のいわゆる天理と同義」中国儒学者
「ロゴスが宇宙を支配し、小宇宙としての人間は「自然の法」としてのロゴスに、つまり人間にあっては理性に依って生きることが理想とされた。」ストア学派

「光・光核」「超越普遍ロゴス」グノーシス
「言=言葉=言葉の解釈=グノーシス=永遠の命=光(ボース)=キリスト≠暗闇(スコティア=死=此の世)」グノーシス

「神の独り子たるキリストという人格的存在を指している」キリスト教神秘主義者

ストア学派までは、これを私と同じように人の語る言語の範疇として把えています。 グノーシスは少し広がりをもっていて、いわばヒンズー教のブラーフマンみたいな概念がここに入って来ているようですね。

とっても引っかかったのがキリスト教神秘学者の理解で、これは元の言葉とはぜんぜん違っていて、この文章全体を、神の側から見ている感じがします。神が語った御言葉という感じですね。

つまり、私が、言葉としてみていた一つの「言」に内包される意味の統一性のないこの文章の中には、創造主が被造物を眺めている普遍の眼差しと、被造物たる人間のその使命喪失=堕落という長い歴史が存在していて、その歴史の流れの中で、神は「言」に肉体をとらせ救世主キリストを使わされたということ。

その過程の中でこの「言」の意味が変化していくのであるということが読み取れます。つまり、この《ヨハネの福音書》冒頭の文字列は、人の言葉ではなく神の言葉そのものである、ということが言えると、そういうことですかしらんね。

そう考えていくと、これを、五行大義の冒頭の言と対照させて考えることはできないということになります。脱線でした。




干支の成立時期



支と干とは、五行の基づいて立てられたものです。伝説によると、軒轅の時代に、軒轅の師の大撓(だいどう)が命によって立てた、とされています。

『大撓が、五行の実相を採り上げ、北斗星の柄の指すところを占い、はじめに甲乙という十干を作り、日に名づけ、これを幹といい、次に子丑という十二支を作り、月に名づけ、これを支と言った。天に事があると、日を用い、地に事があると、辰(月)を用いた。このように天地・陰陽の別があった。だから支・干の名があるのである』(後漢:蔡(巡-之/邑)(さいよう):《月令章句》)

「幹とするのは、大本を成就する意味であり、支とするのは、枝葉にわたるつとめの意味だとしている。この日と辰。幹と支で、あらゆる事をつとめて成就する。それ故、支幹と言ったのである。また干の字に作るのも、(竹/幹)の意味であって、物が竿の上にあって、真っ直ぐに立ち、はっきりとしているようなものである。だからまた竿とも言っている。」《中村璋八》

干支というのは、いわば、一本の樹木によって宇宙を表現しようとしているものであるとも言えます。宇宙樹。そこに天地に起るすべての現象が表現されていると考えたわけですね。

五行を考えるときに、外してならない最も大切なことは、一つの生命圏、宇宙が、すべて五行で表現されていると考える、ということです。五行で表現されていないものがあるのではないかという発想をするのではなく、すべてが五行で表現されているのだから、目前の現象を五行を用いてどのように解釈していくのかという発想をもって、天地の理解に取り組んでいくということです。

これと同じように、宇宙樹としての干支は、五行を細分化してより詳細な六十分割で宇宙を網羅しようとしているわけです。これも、五行を考えるのと同じように、そこに宇宙すべてが表現されている前提とし、六十項目をバランスよく網の目のようにその生命圏にかぶせながら物事を解釈していかなければならないということです。

陰陽・五行・干支。これらは雑な分析から、より詳細な分析へと、一つの生命圏、宇宙を解釈する方法論が緻密になっていくとみることができます。が、これを逆から考えるならば、直感を働かせて自由自在に考えることのできた段階から、詳細な拘束を受けることによってその思考の自在性を喪失していく(硬直化していく)姿を表現しているとも言えるでしょう。







十干十二支による日付の記述は、殷代の甲骨文字にもすでに使用されています。 十干は、殷代に考えられていた十種の太陽のことで、十進法、手足の指は五本×2ということから来たもの。十二支は起源は不詳、一年が十二ヶ月から成るからだという天文学的起源説。十という数字にくらべ、十二は多くの約数を持つからだという数学的起源説。木星の公転周期十一・八六一年が起源であるという説(支那では木星を「歳星」と呼んでいます)などがあります。

十干十二支は天干地支とも呼ばれていますから、東洋医学的に考えると、「天に六気あり地に五味あり」、これの倍の数が十二と十であるという風に見ることもできるでしょう。各々の陰陽ということで、倍。天地が逆になっているのは、十干十二支の場合には、天文を見てそこから地に起こる事柄を占うという意味があるのに対して、東洋医学の場合には天地の気が人の体内において作用しているものであるから逆になると考えることもできます。これは、易の八卦で、水の真中が陽爻であり中心に天を持ち、火の真中が陰爻であり中心に地を持ち、実態としての水火を示しているというあたりからの発想です。







十二支が動物に配当されたのは、時代をはるかに下った後漢以降に確立されたもののようです。始めて文献に表れるのは、後漢の王充の《論衡・物勢篇》であるということです。(《五行大義》明徳出版社・中村璋八解釈)

・中国の戦国時代に漢字を知らない周辺民族に中国の暦を説明するために、これらの動物をつかって図示したことがこの動物との対応の発端ではないかという説。

・十二支の奇数と偶数が動物の爪の数と対応しているからという説。たとえば子寅辰午申戌は全て奇数ですが、鼠虎龍猿犬は全て5本指、そして馬は単蹄で奇数。

・動物レースと関係があるという説。どの動物の能力が高いかレースが行われ、最後に象や鼠、牛など13の動物が残りました。しかし鼠が象の鼻の中に入って象が逃げ出したので、十二支の中には象がおらず、しかも鼠が1番目になっているという伝説。

等が、仮説として提示されていますが、実際のところはよくわかっていません。




五行と十干

《五行大義》を中心とした解説





○木(き)○甲(きのえ)乙(きのと)



『木は触であり、土地に触れて生ずる』《春秋・元命苞》
『木は、冒(ぼう)である。その意味は、地を冒(おか)して出ることである。』《説文解字》
『木は冒なり。華葉もて自ら冒覆するなり。』《釈名(せきめい)》〔注:葉や花を上にかぶった樹木に着眼した命名である〕

『春(しゅん)の言は、蠢(しゅん)である。』《礼記・郷飲酒義》〔注:蠢とは、虫が、春になって動き出すこと〕

『東(とう)は動(どう)である。気を震う。だから動くのだ』《尸子》
『東方は、動方であり、万物が始めて動き、生ずること。』《白虎通・五行》







☆甲☆

『甲は押(押さえて封ずること)であり、春になると開き、冬になると閉ずることである』《詩緯・推度災》

「甲は、固い殻に封じ込められた状態であって、物を入れて封じ込める箱である匣や、動物を封じるおりである(木甲)と同類であろう。」《中村璋八》

『甲とは孚甲(たね)なり。万物の孚甲を解きて生ずるなり。』《釈名》
『甲とは抽である』(《礼記月令》鄭玄の注)「抽とは、引く、抜く、または植物が芽を出すことである。すると次の乙に近くなる。」《中村璋八》







☆乙☆

『乙は軋(あつ)(すれあう)である。春の季節に万物がみな孚甲(たねの表皮)を解いて、自分で、その中からすれあいながら抜け出すことである。』《詩緯・推度災》

『草木の冤曲(えんきょく)して出ずるなり。象形。』《説文》




○火(ひ)○丙(ひのえ)丁(ひのと)



『火の言は、化のことで、陽気が作用して、万物が変化すること』《白虎通・五行為》
『火は、燃え上がることであり、その字は炎(も)えて上る、その形を表わしたもの』『火は毀なり。』《説文解字》

『夏は、仮(上にのせる)である。仮は、まさに万物を呼んで、これを養うことである。』《尚書・大伝》
『夏は化なりとは、万物をゆったりと大きくして、生長させることである。』《釈名》

『南とは、任であり、物のまさに任(はら)むなり。』《尚書・大伝》
『南方とは、任養の方、万物懐妊するなり』《白虎通》
『南呂とは、任包して大なること』《淮南子・天文訓》







☆丙☆

『丙は柄(え)である。物が生長すると、それぞれの柄を取るように両側にひろがるのである。』《詩緯・推度災》

『丙は炳(明らか)である。夏の季節には、万物は強大になり、火が燃えて四方に広がるように、はっきりしとして来る』《鄭玄》

「丙とはこのように、万物が、種子から抜け出し、勢よく繁ることを言っているのである。」《中村璋八》







☆丁☆

『丁は亭であり、亭とは、丁度、一ところにじっと止まっているようなものである。物が生長して行くと、或る時期に止まろうとするようなものである。』《詩緯・推度災》「これは釘・停・鼎と同類の文字であろう。」《中村璋八》




○土(つち)○ 戊(つちのえ)己(つちのと)



『土(ど)の言は、吐(と)であり、気の精を含んで、それを吐き、そして物を生ずるのである』《春秋元命苞》
『土は、生きたものを吐くことである』《許慎》
『土は地の別の呼び方で、五行となるものである。』《王粛》
『土の字の二は、地の下と地の中を象ったのであり、|を真直ぐに画くのは、物が初めて地面から出るのを象ったのだ。』《許慎》
「このように地から植物の吐出する形と見る外、『沙土の堆聚(たいしゅう)して噴起する形を象る』とする説もある」《中村璋八:五行大義の解説者》

「季節は季夏に配当される。季とは老のことであり、万物は、この季夏において成就するのである。そこでこの老は、四季の季(すえ)に王(或いは主か)となる。それ故に老というのである。その位置は、内におり、内(中)に通ずるものである。」《中村璋八》

『大中至正(洪範の九疇で最も重んぜられた治世の要道)の正気を得、土に配される黄・中の徳を含み、よく万物を苞含するものである。』《礼緯斗威儀》

『土をまるめた地主神の形。これを社神とする。土が社の初文。』『卜文の字形は土饅頭形に作り、その上に小点を注ぐ形に作るものが多いのは、これに酒を灌いでかんちょうの儀礼を行うことを示すものであろう。』『社の支配する領域を土(くに)という。』《字統・白川静》







☆戊☆

『戊は貿(かえること)である。前の段階で生長が極まった。極まると、それまでの体を易(か)えなければならない。』《礼緯斗威儀》







☆己☆

『己は紀(すじみち)である。物が始めてなる時に、すじみちがある。』《礼緯斗威儀》

『戊の言は、茂ることであり。己の言は、起ることである。』《鄭玄》

「己とは、もともと曲ったものが、頭を起げて伸びようとする様子を示した象形文字」《中村璋八》




○金(かね)○庚(かのえ)辛(かのと)



『金とは、禁のことであり、陰の気が始めて起り、万物が禁止することである。土は金を生ずる。そこで金の字は、土に従い、左と右の「ゝ」のしるしは、金の土の中にある形を象ったもの。』《許慎》「上の『今』は音符」《中村璋八》

『金は禁であり、気剛(つよ)くして、よく物を禁制することである。』《釈名》「これは金属が、物を封じ込めて、禁(ふさぐ)ずる力を持っていたことから来た解説であろう」《中村璋八》

『秋の言は、愁(おさめる)のことである。陰気が万物を肅殺して裁制するのに(愁之)、秋の時を以て、厳かにするのは、義(秋に配される)を守るものである。』《礼記・郷飲酒義》

『秋は肅(しゅく)であり、万物は慎しみ敬(うあやま)わないことはない。恭しく荘(おごそ)かなのは礼の最も重要なものである。』《尸子》
『地の物を、またもとに返すのを秋とする。』《説文》
『秋の言は、愁(うれうる)である。』《白虎通》
『秋とは収成なり』《爾雅・釈天》
『秋とは(糸酋)(しぼる)なり。品物を(糸酋)迫(ひきしめる)して、時成せしむるなり。』《釈名・釈天》
『西は鮮であり、鮮(遷)は訊である。訊は、始めて入るのさまである』《尚書大伝》「とし、太陽が西方に傾く様子を言ったのだとしている。」《中村璋八》







☆庚☆☆辛☆

『庚は更(かわる)であり、辛は新である。万物は成長して代り、改め更(かわ)って新しい物にかえるのを言うのである。』《礼緯斗威儀》

『万物は、みなおごそかに更(あらたま)って、秀でた実が新らたにできるのを言うのである。』《鄭玄》

庚は『糸を絡むる(木付)(いとまき)なり。』《説文》
『更なり。堅強のすがた』《釈名》

「この堅く張っていることが本義であろう。また白虎通、五行に、『殺傷する所以なり』とある。これは罪刑を加えるための刃物を指したものであろう。」《中村璋八》




○水(みず)○壬(みずのえ)癸(みずのと)



『水は準であり、万物を平準(たいらか)すること。』《釈名》《広雅》《白虎通》
『水の言は演(ながれる)であり、陰気が次第に物を変化させ、淖濡(うるお)して、流れ施し、潜かに行かしめることである。そこで、字を作るのに、二人の人が(从)一に交わり(人|人)中より出たのをもって水とするのであり、この一は、数のはじめで、二人の人とは、男と女に例えている。陰(女)と陽(男)とが交わって、一を起すのである。』《元命苞》

「水は五行の始めであり、元気のあつまった汁である」《中村璋八》
『水は、地の血気であり、筋(すじ)と血脈の中を流れるものである。そこで水というのだ。』《管子》
『水の字は、泉が並んで流れ、その中に微(かすか)な陽の気があるのにかたどったのだ』《許慎》

『冬は終であり、万物は、この冬に至って終り。蔵(こも)るのである。』《尸子》
『冬の言は、中であり、中は蔵(こも)ることである。』《礼記・郷飲酒義》

『北は伏であり、万物は、冬になって、みなかくれるのである。貴きも賤しきも同じこと。』《尸子》
「北は『乖(そむ)くなり。二人あい背(せをむける)するに従う。指事。』とある説が、本来の意味で、二人が同じ方向に並ぶ「比」に対し、逆の方向にそむいた形である。」







☆壬☆☆癸☆

『壬は任(はらむ)であり、癸は揆(はかる。のり)である。陰気が、陽気を任んで、規則正しく、物を萌芽させることである』《礼緯斗威儀》

『ある時、万物を閉じ蔵(おさ)めて、下ではらみ、規則正しく芽ばえることである。』《鄭玄》




十二支






○子○



子(し)は孳(じ)(うむ・しげる)である。陽気が動き出し、万物が芽生えるのである。《三礼義宗(さんらいぎそう)》には『陽気がやってきてしげり始める』と説く。




○丑○



丑(ちゅう)は紐(ちゅう)(ひもでしめる)である。紐は繋(つなぐ)である。どんどんと芽ばえて大きくなるのを紐でしばってしまうと言うのである。《三礼義宗》には『そのことは、終って、また始まる時に居る。だから、ひもで結ぶことをもって名とするのだ。』と言う。




○寅○



寅(いん)は移(うつす)である。また引(いん)(ひく)と言っている。物の芽が、ようやく地面から出て、引っ張り出して、これを伸ばし、地より移し出すことである。《淮南子》には『寅とは、動き始めて生ずるのである。」と言い、《三礼義宗》には『寅とは引くであり、のびのぶるという意味である。』と説く。

「寅は、もともと、直進する矢の姿を画いた象形文字で、演繹の演は、長く伸ばすことであり、演説の演もまた、長く引き伸ばして説明する意であるが、この演と同類の字である。」《中村璋八》




○卯○



卯(ぼう)は冒(ぼう)(かくす)であり、物が生えて、大きく成長し、地を覆い隠すことである。《淮南子》には、『卯は茂ることであり、さかんなことである。』と言い、《三礼義宗》には『卯は茂ることであり、陽気がやって来ると、物が生じさかんに茂る。」と説いている。

「《説文》には、『卯は冒なり。二月、万物地を冒(おか)して出ず。門を開くの形を象(かたど)る。故に二月を天門となす。』と閉じた門を開ける形としている。」《中村璋八》




○辰○



辰は震(ふるう)であり、震動がすさまじくふるいたって、そのもとの体から抜け去ることである。《三礼義宗》に『この月(旧暦三月、晩春)物がことごとく震動して生長するのである。」と言う。

『辰は震なり。三月陽気動き、雷電振るう。民の農の時なり。物みな生ず。』《説文》
『辰は伸なり。物みな伸舒(のびる)して出ずるなり。』《釈名・釈天》




○巳○



巳(し)は已(い)(やめる)である。もとの体が、ここで洗い去られ、已(すで)に竟(お)わってしまうのである。《三礼義宗》には、「巳は起(おこる)である。物が、この時(四月)になって、みなことごとく起こるのである。」と言う。

「しかし、この字は、」「もともとは、胎と同じく胎児のことであったが、これが、漢以降、十二支の一つとして説かれるようになった。」《中村璋八》

『蛇の形』《説文》




○午○



午は(イ午)(さからう)であり、また、萼(落ちる)とも言う。仲夏の月(五月)に万物が盛大になって、枝柯(えだ)が入り交って盛んに伸びているさまである。《淮南子》には『午は忤(さからう)である。』と言い、《三礼義宗》には「杵は長であり、大であり、明らかな物が、みな生長して大きくなるのである。」と言う。




○未○



未は昧(くらい)である。陰気がすでに成長し、万物がようやく衰え、体がかくれ暗くなる。それ故、未にかくれ暗くなると言うのである。《淮南子》には『未は味(昧)である。』と言い、《三礼義宗》には、『その時は、物が成長に向かい、みな気味(おもむき)がことであるある。」と言う。

『木の老いて枝葉重なるなり。木に従い、中の重なるなり、象形』《説文》

「木の上方に生えた小枝を示した字であり、梢の枝は細くて小さいので、暗くてよく見えない=昧、微妙なあじ=味という字で説明したのであろう。」《中村璋八》




○申○



申は伸(のびる)であり、伸は、なお引くようなものであり、長ずることである。衰え老いて引長するのである。《淮南子》には『申は呻(うたう)である。』と言い、《三礼義宗》には「申は身であり、物はみな身体が完成するのである。』と言っている。

「申は、いなずまの姿を描いた象形文字で、電の原字であり、真直ぐ光が来ることから、伸(のびる)とか呻(声を長く伸ばしてうたう)とかで説明したのである。」《中村璋八》




○酉○



酉は老であり、また熟とも云っている。万物が老い極まって、成熟することである。《淮南子・天文訓》には『酉は飽(あく)である。』と言い、《三礼義宗》には、『酉は猶であり。老熟したたぐいの意味である。この時(八月)、物はみな縮小して成熟するのである。』と説く。

「酉は、首の細く抜け出た酒つぼの象形文字」《中村璋八》

『酉は就なり。八月、黍成り、酎酒となすべし。古文の酉の形を象る。』《説文》
『酉は秀なり。秀は、物みな成るなり。』《釈名・釈天》




○戌○



戌(じゅつ)は滅であり、殺(さつ)である。九月に殺が極まり、物がみな滅びるのである。《三礼義宗》には『この時、物は衰え滅びる。」と言う。

「この戌は、古くは戉(えつ)と同じ字で、鉞(まさかり)のことであった。」《中村璋八》




○亥○



亥は核(しん)であり、閡(とざす)である。十月には、万物を閉蔵して、みな核閡(たね)の中に入れるのである。《三礼義宗》には『亥は劾(きわめる)であり、陰気が万物を追求して殺すことを言うのである。」と言う。

この亥は、骸(骨くみ)の原字で、家畜の骨核を表わした字であったが、それが、十二支の最後の位を示す字として用いられた。極(行きづまり)と同類の言葉であろう。









2002年 2月 9日 日曜  BY 六妖會




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