十九難解釈



☆第十九難では、「人」における男女の陰陽関係について述べられています。そのことを考えていくためには、まず、いわゆる、人身は天地に対応しているというものが、いかなる概念であったのか、それを整理しておかなければなりません。そこで、《内経》の中でも、このことがよくまとめて述べられている《霊枢・邪客》を紐解いてみましょう。




人身は天地に対応している



黄帝が伯高に聞いて言われました。人の肢節が天地に対応しているというのはどのようになっているのかお聞きしたいのですが?

伯高は答えて言いました。

天は円であり地は方です。人の頭も円であり足は方としてこれに対応しています。天には日月があり、人には両目があります。地には九州があり、人には九竅〔注:九竅とは、上の七竅と下の二陰のこと〕があります。天には風雨があり、人には喜怒があります。天には雷電があり、人には音声があります。天には四季があり、人には四肢があります。天には五音があり、人には五臓があります。天には六律があり、人には六腑があります。天には冬と夏とがあり、人には寒熱があります。天には十日〔注:十干のこと:天干〕があり、人には十指があります。辰〔注:十二支のこと:地支〕に十二があり人に足の十指と莖垂〔注:睾丸二つ:宗筋と睾丸〕があってこれに対応しています。女子には二節が不足しているので、人形を抱きます〔注:すなわち妊娠するという意味〕。天には陰陽がありますが、人には夫妻があります。一年には三百六十五日ありますが、人には三百六十五節〔注:関節:穴〕あります。

地には高い山があり、人には肩と膝とがあります。地には深い谷がありますが、人には腋と膕〔注:腋窩と膝窩〕があります。地には十二経水がありますが、人には十二経脉があります。地には雲気がありますが、人には衛気があります。地には草や芦がありますが、人には毫毛があります。天には昼夜がありますが、人には臥起があります。天には列星がありますが、人には牙歯があります。地には小山がありますが、人には小節があります。地には山石がありますが、人には高骨〔注:ほおぼね・肩・膝・踝〕があります。地には林木がありますが、人には募筋〔注:筋脉が集まっている場所:「幕筋」と読ませ筋膜と解釈する説もあります〕があります。地には聚邑がありますが、人には(月菌-艸)肉〔注:脂肉の集まっている場所〕があります。一年には十二月がありますが、人には十二節〔注:四肢それぞれ三節づつ〕があります。地には草が生じない場所がありますが、人には子ができないこともあります。これが、人と天地とが相い応じているという意味です。


人身は天地に対応しています。が、しかし、男女という陰陽関係で捉えられるもの、すなわち個人として全き存在ではない部分がそこにはあります。それを描写しているのが以下の文言です。

『天には陰陽がありますが、人には夫妻があります。』『地には四季があっても草が生じない場所がありますが、人には子ができないこともあります。』いわば人間が持つ必然的な社会性というものをここにいれて考えているわけです。社会性があって初めて全き人であるという考え方が内包されています。

ここで興味深いのは、「人」の夫妻が天の陰陽と対比されていることです。《易》の〈繋辞上伝〉をみると、『乾道は男を成し坤道は女を成す』というように、男女という陰陽関係を乾坤すなわち天地と対応させています。またはるか後代に成された《太極図》を見ても、この概念が継承されていることが理解できます。はて、これをいかに考えればいいのでしょうか。

ということで、《霊枢・邪客》をもう一度よく見てみますと、そこに描かれているものは男女ではなく夫妻なのですね。これは、「夫妻」というものを「人」という括りにおける天に位置しているものとして把握されていたと考えられるでしょう。つまり、性的に分化して成熟した男女を夫妻と呼び、これを天と対応させていたわけです。後代ではこのあたりの節度がおろそかにされ、安易に男女を天地の陰陽と対応させていったのではないかと、そのように見ることができます。







そして、男女には、多くの共通の部分と、少しの異なった部分とがあると《霊枢》では認められています。その異なった部分とはどこかといいますと、『辰〔注:十二支のこと:地支〕に十二があり人に足の十指と莖垂〔注:睾丸二つ〕があってこれに対応しています。女子には二節が不足しているので、人形を抱きます〔注:すなわち妊娠するという意味〕。』という部分となります。明快ですね。つまりこれは、性器の区別の事を言っているわけです。

《難経鉄鑑》ではさらに多くのことが述べられています。『男女は同じように人なのですが、その違いとして、男は剛であり女は柔であるというように稟賦の〔訳注:先天的な〕体形が先ず異なります。さらに、男は伏し女は偃(のいふ)す〔訳注:仰向けに倒れる〕というように生死の形が異なります。男は雄とし女は雌として平素の声も異なります。さらには男は血気がしっかりしており筋力も強く、女は血気が満ちたり欠けたりして生理があります。男は完全な形がありますが、女は欠けています、欠けて鬚がありません。また男は施し女は受けます、受けて妊娠することがあります。陰は升る性質があり、陽は下る性質があります、ですから女の乳房は上に盛ですが、男の性器は下に垂れます。これらは皆な男女の区別です。』という部分がそれです。







しかしねぇ、あるときは、人身が一つの個体という括りの中で天地と対応しているという意味の事を述べ、あるときは、人には男女という別があるともってきて、その男女というものを天地と対応させて述べていることは、これは大きな矛盾であると考えるべきでしょう。陰陽する場、一つの生命圏ということで個体の生命を措定して、その内部をより大きな生命圏、六合宇宙と対応させて提示している同じ文章の中で突然、種としてのおおきな生命圏の括りを持ち出してきて同じ流れでその種の陰陽関係を述べてしまうんですねぇ。このあたりをよく理解するためには、どこまでが天地と対応した人であり、どこからが男女というそれぞれに欠落した部分を持つ存在であると把えられているのかということが、明確に意識されなければなりません。




男女の違い



☆滑伯仁〔注:一三六一年:《難経本義》〕は二説を引用して解説しています。

1、紀天錫(1175年:金代:《集注難経》)の説:生物というものはその大本は子に始まります。子から数える際、男性は左旋して三十で巳に至り、女性は右遷して二十で巳に至ります。これが男女が婚姻する数になります。巳のときに妊娠して、男性は左旋して十月目の寅の時に生まれます。寅は木で陽です。女性は右旋して十月目の申の時に生まれます。申は金で陰です。

〔伴注:この中で、巳に至って婚姻するということは、礼経に定められているものです。また、《淮南子》の〈氾論〉にも同様の説が掲載されています。唐代の楊玄操(八世紀:難経注釈)以来、この説が用いられており、丹波元胤もこの説を用いて解説しています。〕

2謝晋孫(元代:難経説)の説:寅は木です。木は火を生じます。火は寅から生まれ、炎上する性質があります。このため男性の脉は関より上にあるわけです。申は金です。金は水を生じます。水は申から生まれ、流れ下る性質があります。このため女性の脉は関より下にあるわけです。

3:滑伯仁自身の説:陽の体は軽清なために升ります。これは天道です。このため男性の脉は関より上にあるわけです。陰の体は重濁なため下ります。これは地道です。このため女性の脉は関より下にあるわけです。これが男女の常態であると私は思います。

〔伴注:《難経鉄鑑》も基本的には、この説を踏襲しています。長文になりますのでくり返しません。ただ面白いのは、『ここでいう弱は虚弱という意味ではなく、盛に対する弱です。ここでいう盛は盛実という意味ではなく、弱に対する盛です。男女の形は同じですので診脉部位は同じですが、男女の気は異なりますので脉気の盛弱は異なります。形が同じということは心肺は上にあり肝腎は下にあるといった類のことであり、気が異なるということは陽の性は下行して伏し陰の性は上升して偃(のいふ)すという類のことです。後人に、男女の診脉部位を左右逆にするなどして倒診するものがいますが、経義をしっかり理解していないことによる過ちです。』というふうに、考えが極端にならないように戒めている点です。後人に対して丁寧な記載であると思います。〕







☆李時珍〔伴注:一五一八年~一五九三年:張景岳より45歳年長〕《脉訣考証》には、五説が引用されています。

齊褚澄は述べています。「男子の陽は下から上に生じます。このため右尺を受命の根とします。万物は土から出ますので、右関を脾とし、右寸に肺を生じます。肺は左尺に腎を生じ、腎は左関に肝を生じ、肝は左寸に心を生じます。女子の陰は逆に上から下に生じます。このため左寸を受命の根とします。万物は土から出ますので、左関を脾とし、左尺に肺を生じます。肺は右寸に腎を生じ、腎は右関に肝を生じ、肝は右尺に心を生じます。」【原注:《褚氏遺書》に詳しい】

華谷儲泳は述べています。「《脉訣》は、男女の形態の違いと陰陽の違いとをみて、女性の尺脉の盛弱と男性のものとが相い背反しているとしています。男児は生まれる際に覆し、女児は生まれる際に仰向けです。男児は左旋し、女児は右転します。男性は施すことを主とし、女性は受けることを主とします。男性の至命は腎の位置、臓腑の下極にあり、女性の至命は乳の位置、臓腑の上極にあります。形気が異なっているわけですから、形気の間を流れる脉にどうして違いがないことがありましょう。この褚氏の説は理にかなっていると思います。」【原注:詳去疑説】〔伴注:《脉訣》は、六朝時代の高陽生の著:人口に膾炙されていた〕

戴起宗は述べています。「《脉訣》が男子は左腎右命、女子は左命右腎と別けていることから、ついにはこの両者が背反するものとなりました。けれども諸家は、尺位の脉の盛弱ということでこれを解釈していました。しかし褚氏は女性の心肺を尺位で診、五臓を逆に考えました。これは非常に大きな誤りです。男女の形気や精血は異なっていますけれども、十二経脉の流れの終始や五臓の位置などが一致していることを知らないのでしょうか。女性の脉位が反するということなどありません。」

丹渓朱震亨は述べています。「昔軒轅は、伶倫に(山鮮)谷の竹を切らせ、黄鍾という律管を作り、天地の節気を候い、伯高に気口の脉法を作らせ、人の動気を候いました。黄鍾の長さは九分で、気口の長さも九分、律管が具わることによって寸の長さも始めて形となりました。このことから、脉の動きも、陽が九分を得、陰が一寸を得て、黄鍾と吻合したわけです。天は西北に足らず、陽は南、陰は北にあたりますので、男性は寸位が盛で尺位が弱く、天に肖られます。地は東南に満たず、陽は北、陰は南にあたりますので、女性は尺位が盛で寸位が弱く、地に肖られます。黄鍾は気の前徴ですから、天地の節候を測ることができます。気口は脉の要会ですから、人命の死生を知ることができます。世の中の俗医は高陽生の妄作〔伴注:すなわち《脉訣》〕を誦することで病を治しその人を死なせないようにと願っています。」

龍丘葉氏は述べています。「脉は天地の元性ですから、男女の尺寸の盛弱も天地に肖られます。越人は、男児が寅に生まれ、女児が申に生まれ、三陽は天に従って生長し、三陰は地に従って生長するとしました。非常に大きな誤りです。一人丹渓のみが律の法によって天人の混同を整理し、千載の誤りを一気に開明しました。なんと素晴らしいことでしょうか。」







李時珍はこのように時代を経た五説を引用して、男女差が形気そのものの違いとまで考えられて行き、その行きすぎが改められて行く過程を描いているわけです。つまり、《脉訣》から引きずられてきた男女の違いを極端に推し進めた、褚氏の説が改められていく過程を描いているわけです。けっきょくは、朱丹渓の説を暗黙のうちに支持しているということになりましょう。ちなみに《難経鉄鑑》で、『後人に、男女の診脉部位を左右逆にするなどして倒診するものがいますが、経義をしっかり理解していないことによる過ちです。』と批判されているのは、この褚氏のことですね。

この最後の朱丹渓の説を是として引用しているものに、清代の李延是〔伴注:一六二八年~一六九七年〕《脉訣彙弁》、江戸時代の名古屋玄医〔伴注:一六二九年~一六九六年〕の《難経註疏》があります。




男女で脉状が異なるという
《難経》の説に対して



【肯定的なもの】

滑伯仁《難経本義》には、『男女の常態と異なることを、反すると言います。』『常態に反するために、その大過不及によって内外の病が現われます。』と内容の補強的な解説に努めています。

徐霊胎《難経経釋》では、内容の解説を行うのみで、特に独自の解釈を加えてはおりません。

顱之頤〔注:一五九八年~一六六四年:明末清初の人;景岳の次の世代にあたります〕《学古診則》では、内容の解説を行うのみで、特に独自の解釈を加えてはおりません。

本間詳白《難経の研究》では、内容の解説を行うのみで、特に独自の解釈を加えてはおりません。

《難経校釋》では、内容の現代語訳を行うのみで、特に独自の解釈を加えてはおりません。

《難経訳釋》=日本の《難経解説》では、内容の詳細な解説と補強を試みております。


要するに、肯定的な説というのは、《難経》と対決せずに、ただなんとなく解釈して、書物としているという傾向なわけですね。

《難経鉄鑑》も表面的には肯定しているのですが、『診法にはもともと一定の決められたものはないので、その時と場合によって変化します。意識的に使い分けていかなければなりません。』とか『また男女と言ってもその常を失っているものもあります。女らしい男もいますし、男の声のような女もいます。嫉妬深い男もいますし、賢い女もいます。さらには男が変化して女になるものもありますし、女が変化して男になるものもあります。』とか『浮沈も盛弱も元気な人であれば胃の気の和緩の中にあるので、ただ微浮・微沈・微盛・微弱を示しているだけで明確にその形状を見ることはできません。』と述べて、概念としては《難経》の説を解説してはいるわけですが、事実上は認めていないという形式をとっています。古典を重んじながら上品に否定しているという印象を持ちますね。







【批判的なもの】

葉霖《難経正義》では、概説を紹介した後、詳細な解釈を試みています。聞いてみましょう。

丁錦〔注:《古本難経闡注》一七三六年;徐霊胎の《難経経釋》が一七二七年ですから、その次の世代にあたります。〕は述べています。

「人の尺位とは、樹に根があるようなものです。盛であろうとしてもなかなかそうはいかないものです。男性が女性の脉である盛んな尺脉を得ている場合に、これを不足と言ってしまっていいのでしょうか?女性が男性の脉である弱い尺脉を得ている場合に、これを太過とい言ってしまっていいのでしょうか?

そもそも男性が女性の脉を得て不足としているのは、寸位の脉状が弱いもので、陽気が内に不足しているため、病が内にあるもののことです。女性が男性の脉を得て太過としているのは、寸位の脉状が盛んなもので、陽気が外に有余しているため、病が四肢にあるもののことです。

これらの言葉には、理があるようにも思えます。しかし、これに拘泥することはできません。尺位は脉の根であり、盛であるべきであって、弱いのはよくないためです。

陰虚火動の際に、両尺が洪で有力な場合、これが不足なのでしょうか?火炎が上にあり、両寸が洪で有力な場合、これが太過なのでしょうか?

また、両寸が大で無力な場合に、大補がよく、両尺が大で無力な場合に、升陽散火がよく、寸位の脉状が尺位より大きくてともに有力であれば、陰虚陽盛として下すべきですし、尺位の脉状が寸位より大きくてともに有力であれば、陽虚陰盛として発汗させるべきです。

このように脉状の変化とは一言では言い表せないものなのですから、どうしてこれに膠柱鼓瑟する〔伴注:拘わる〕ことができるでしょうか?

越人が人々に指し示していることは、男女の陰陽の体ということと、内外における不足と太過という変ということであり、その要点を、一隅三反〔伴注:よく考えて他を類推〕していかなければなりません。

」と。

学ぶ者は、これをよく考えてください。

凌耀星《難経校注》では、概説を紹介した後、『ただし臨床的には、語りつくされていないと思います。』と述べています。

葉霖の引用している説は、臨床的な側面から混ぜ返しているもの、凌耀星の説は、解説もなしに突き放しているもので、《難経鉄鑑》のゆるゆるとした中途半端な否定と比べると古人に対する優しさに欠けるきらいはあります。が、これが正論でしょう。




まとめ



広岡蘇仙の解釈にあるとおり、一元の気を天人地の三才に分けて考えたとき、その真ん中に位置する「人」をさらに陰陽に分けて考えた際の男女の違いということを、ここでは考えているわけです。

つまり、ここでは、一人の個人という一元の全き気の状態について述べられているものではなく、男性として生き女性として生きている、その存在そのものの先天的な不完全性、男女という組み合わせがなされることによってはじめて全き「人」となるのである、ということが、この論の背景として前提とされているということが理解されなければなりません。

他の難では、個人の身体を十全のものとして一元の気として捉えて考えていますので、この難における「人」の把握の仕方、男女という社会性を持たせていく方法論は、《難経》の中でも特殊な難として位置づけられるでしょう。

この「人」の陰陽として、男女をもってくる発想は、その言葉を換えて言うならば、人というものは男女の性別をもって運命付けられているのであるから、自身が片輪であることをを意識しなければならないということが一つ。そして、さらに十全たる人であるためには男女が天と対応する夫妻と呼ばれるまで成長して「家」を築かなければならない、ということを示唆しているとも言えるでしょう。

こう考えてみると、人の成長とはどういう過程をおうものであろうかということを、古人がいかに考えていたのかというあたりのことが見えてきます。

人は一つの非常に不安定な生命として生まれ、成長するに従って、男女に分化し、それぞれが片輪としての自己の存在のあり方を充実させ、夫妻と呼ばれる位置にまで成長し、家を持つことで人としての十全な存在をはじめて築き上げることができる。そこにおいてはじめて人となるのである、という考え方です。







ただ、この難で言われているように、天地の陰陽の間に存在しているに過ぎない人の、その中の陰陽を指し示す男女という概念にあって、それが、個人としての男とか女の脉状にまで及んでいるものであるかどうかということについては、やはり非常に疑問であるといわなければなりません。

なぜなら、人として完全であるためには男女が交わるということが必然的なことであるかもしれませんが、男や女が個人としてその生命を保つということにおいては、それぞれが「個」として存在していてもさほどの困難がないためです。(生命を保つということの意味を、個を超えて先祖から子孫に血脉をつなぐという意味として捉えるなら、個は基本的に無力ですけれどもねぇ。)







で、治療という観点で捉えるのであれば、現代に生きる鍼灸師にとっては、患者さんの家の血脉がどうすればつながれるのかということを問題にすることはほとんどないでしょうから、これは、われわれの範疇を逸脱した問題として、逃げきることができます。

つまり、血脉をつなぐということを考えから除外するならば、もう、個人の生命のあり方を問題にするだけで足り、そこをいちおう十全の気、一元の気の横溢する場所であるとみてよいのではないかということです。ただし、生まれてから成長し、男女として分化し、夫妻として合一し、枯れて老いていくという、この、生命の時間的な盛衰を見逃すことはできませんが。







2003年 1月 12日 日曜   BY 六妖會




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