第 六十四 難

第六十四難




六十四難に曰く。《十変》にはまた、陰井は木であり、陽井は金。陰栄は火であり、陽栄は水。陰兪は土であり、陽兪は木。陰経は金であり、陽経は火。陰合は水であり、陽合は土とあります。陰陽によってすべて異なっていますが、その理由は何なのでしょうか。


「井」は水が井戸から涌き出る状態を表わしており、春木に象ります。「栄」は水が栄え満ちて浮く状態を表わしており、夏火に象ります。「兪」は水が四方に転輸する状態を表わしており、土気に象ります。「経」は水が経流して去る状態を表わしており、秋金に象ります。「合」は水が合湊して〔訳注:合流し湊って〕入る状態を表わしており、冬水に象ります。また陰陽の五兪に、五行の違いがあるのは、夫婦配偶の意味がその中に包含されているためです。






然なり。これは剛柔の事です。陰井は乙木であり、陽井は庚金です。陽井は庚であり、庚は乙の剛です。陰井は乙であり、乙は庚の柔です。乙は木とします、ですから陰井は木であると言うのです。庚は金とします、ですから陽井は金とします。他は全てこれに倣って考えてください。


陰経と陽経の井栄兪経合の間で水火金木の配当が異なっているのは、剛柔の問題がそこに絡んでいるからです。そもそも物事には先ず陰陽があってその後に功が成るものです、これは人に夫婦があってその後に家事が治まるようなものです。庚乙は天の神であり、無形のものです。無形の神にさらに剛柔の別があるのですから、有形のものにおいてはなおさらのことです。庚乙というものは無形で見難いので、本文では自ら釈して、乙は木とし、庚は金とすると語っています。これは無形の庚乙を有形の金水に例えたものです。ここでよく理解しておくべきなのは、夫婦の道である陰陽配合の妙というものは、あらゆる物事に具わっているということです。たとえば肝の病でそれを開通しようとするのであれば、肝自身の木気に従ってその井穴を取ります、もし降収しようとするのであれば、その金気に従って胆の井穴を取ります。薬を用いて肝を治療する場合に、辛で散じて、酸で収めるのと同じことです。他の臓もこれに倣って考えていきます。


問いて曰く。陰井は木の陽に配し、陽井は金の陰に配します。この陰陽が相い反するのはどうしてなのでしょうか。

答えて曰く。これは、正であるか助であるかによってお互いにその宅に匿れるということを表わしています。五臓は尊いものですから、その井が木であるというときそれは春の正となります。六腑は卑しいものですから、その井が金であるというときそれは春の助となります。春に春温や春寒があるのは、このように正と助とがもとになって春気が形成されているからです。その栄が火であるというときは夏の正となります、その栄が水であるというときは夏の助となります、暑火の最中に梅雨があるのは、このように正と助とがもとになって夏気を形成しているからです。その兪が土であるというときは長夏の正となります、長夏とは長老の夏のことです、夏の気がすでに老成しているということを表わしています、その兪が木であるというときは長夏の助となります、土に専気〔訳注:主る気〕はありません、土は四季それぞれに旺じて四時の気を熟成させるものです、ですから暑もまた長夏に至ることによってその熱が極まります、極熱の中に微風が吹くことがあるのは、正と助とがもとになって土旺の気を形成しているからです。その経が金であるというときは秋の正となります、その経が火であるというときは秋の助となります、ですから涼と熱とがもとになって秋気を形成しているのです。その合が水であるというときは冬の正となります、その合が土であるというときは冬の助となります、皮膚が裂かれるような厳しさがありながらまた背を曝(さら)す〔訳注:日光にあてて乾かす〕ことができるような和気があるのは、正と助とがもとになって冬気を形成しているからです。またよく考えてみると、陰の兪穴である木火土金水という序列のつけ方は横であり、陽の兪穴である金水木火土という序列のつけ方は縦です。陽兪を縦として立ててみると、金は上に位置して天に属し、土は下に位置して地に属し、その中間に水木火が並んでいることになります。陰兪を横として横に配列すると、木が始めに位置して春に属し、水が終わりに位置して冬に属し、その中間に夏と秋とがあって四時〔訳注:四季〕が推移していることになります。また春夏秋冬を、東西南北の方位に対応させると縦となります。いわゆる、陰陽はこれを数えて十にも百にもしていくべきであるとは、このように観点を広げていくことを言っているのです。



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