下焦精蔵 第十四節 茎戸




男には陰茎があって子宮はなく、女には子宮があって陰茎がありません。けれども、実は同じようなものはあります。《邪客篇》に、『天には十日ありますので人の手にも十指あります。辰〔訳注:天球を天の赤道にそって東から西に十二等分したもので、十二支に配当される〕には十二ありますので人の足に十指と茎垂とがありこれに応じています。女子は二節足りないために人形を抱くわけです。』と述べられています。この心は、男は手の十指と陰茎・陰丸とがあって、この十二物で十二辰に応じ、女は陰茎陰丸がなく、男に比べると二物足りないようですが子宮があり、胎形を懐抱するとして〔訳注:妊娠することができるとして〕、男の茎垂にかわって備わるところがあると述べているわけです。

女子の子宮は男子の茎垂にかわるものであるということを理解するには、婦人が難産すると、その子宮が戸外に露出するということがあげられます。このことからも男の茎垂にかわって〔訳注:子宮が〕存在しているということがわかります。

また、男の精液は下り泄れ、女の精液は上り溢れます。男の茎垂は下部に垂れ、女の乳房は上部に(あら)〔訳注:あら〕われます。血液が化して乳頭に上り溢れるのは、どうしてなのでしょうか。

そもそも男は陽体であって乾天(けんてん)〔訳注:けんてん:《易》の乾爻で天を表す乾為天のこと〕に対応しています。女は陰体であって坤地(こんち)〔訳注:《易》の坤為地こんいちのこと〕に対応しています。天陽は降り地陰は昇ります。ですから男の茎垂は低い位置にあって下部に垂れ、泄精もまた下り注ぎます。これは天気が下降する象です。女の乳房は上部に露われて乳液も上に溢れ、泄精も溢れ上がります。これは地気が上昇する象です。とはいっても男陽女陰の本質は失うことがないため、男の茎垂は外に現れ、女の陰戸子宮は内に(かく)れます。これは陽道は進み陰道は退くという意味であり、自然の理なわけです。



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