第四章 右腎命門論




門人が聞いて言いました。越人の《三十六難》に『腎に二つありますが、その両方が腎なのではありません。その左にあるものを腎とし、右にあるものを命門とします。命門は諸神精の舎る所であり、原気の繋る所です。男子はここに精を蔵し、女子はここに胞を繋ぎます。 』と述べられています。この左右に疑問があります。左は陽道であり、右は陰道です。腎はもともと水陰の臓ですから、右を腎とすべきです。どうして左を腎とし右を命門としたのでしょうか。

答えて言いました。「命門」の二文字は《内経》にもありますけれども、すべて両目のことを指して言っているもので、右腎のことを呼んでいるものではありません。右腎を命門と呼んでいるのは、秦越人の《難経》が始まりです。その旨意を考えると、腎は二枚あり、諸蔵はすべて一臓です。腎だけ二臓であるということは他臓とは異なることです。そのためその左右を別けて、腎というのは左だけの名前で右は命門と名付けて腎とは言わないことにしたわけです。そうすれば腎というものは他臓と同じようにただ一臓となるためです。

その右の命門に諸神精を舎し原気と胞とを繋ぐと述べられているところには、深い理があります。そもそも臓というものは、神気を蔵畜している清いものです。腑は水穀の濁気を得てそれぞれに受けて瀉しているところです。けれども腎は、精をここに受けてまたここから瀉し、胞をここに繋いで胎を舎しますから、諸蔵の清浄の例とは合いません。そのため精と胞とをともに右の命門に蔵し繋ぐとして、左の腎を清めて他臓の例と等しくしているわけです。けれども《三十四難》に『腎は精と志を蔵します』と述べられており、《三十九難》に『右の命門と左の腎とはその気が相通じています』と述べられていますから、実は両腎は一体で、ともに精志を蔵し胞もまた両腎に繋ぐものであることがわかります。

その左右を別けて言うのは、そもそも天は万物の上にあり地は万物の下にありますから、人身においても肺を天にとり腎を地にとります。今、左を腎とし右を命門として精と胞とはともに右に蔵し繋ぐというのは、地の剛柔の理から弁じたものです。西方は地が厚くて剛く、東方は地が薄くて柔らかです。人身は南面して立ちますから、左は地気が薄く柔の東方にあたり、右は地気が厚く剛の西方にあたりますので、精を蔵し胞を繋ぐのはともに右の命門にあると述べているわけです。

けれども後人がこの旨意の深さまで達せず、ただ言葉にだけ曲滞して〔訳注:無理に拘わって〕、右腎命門にだけ精を蔵し胞を繋ぐのであれば左腎には何を繋ぐのだろうかなどと言って《難経》を疑う説まで出てきました。【原注:これは張介賓の《類経・命門弁》の説】けれども越人の本心はそうではありません。精と胞とがともに命門にだけ蔵され繋がって、左腎には精も胞もまったく関与していないと述べられているのではありません。両腎はもともと一体であり、ともに精神を蔵してともに胞を繋ぐわけですけれども、地気の剛柔の理から推測すると、右に関与することがより深いとしているわけです。







この難〔訳注:三十六難〕はそれよりも、腎を命門という名前で呼んでいることを眼目とすべきです。どうしてかというと、腎は水精の臓ですけれども、その中に温陽の元火を含寓しています。この火は三焦の原【原注:みなもと】であり人身の生気の根です。ということは腎は、陰陽水火の本根〔訳注:大本となる根:根本〕ということになるからです。

腎はまさに生命の門そのものです。治療を施す際にも、陰を治療するのに地黄でなければならない場合があり、火を治療する際にも附子でなければならない場合があります。ともに少陰腎経の本薬です。水火陰陽の本根が腎にあることはこのように明らかなことなのです。

実は両腎ともに命門と名付けるに値するわけですけれども、地気の剛柔の理と、諸蔵がそれぞれ一つの形しかもっていないため、右腎に命門の名前を用いているわけです。後学は、文に拘わって、右腎だけが命門であるなどと考えてはなりません。虞天民は「両腎をともに命門と名付けるべきです」と述べています。実に是とすべきところです。







また後人に右腎を命門とし相火とするという説がありますけれども、独り右腎だけに陽火があるわけではありません。両腎ともに精を蔵し、その両腎両精にはともに温陽の火気が含蔵されています。けれども水が深ければ含蔵されている陽火もまた厚くなるという理がありますので、地気の剛柔ということから推測すると、右腎は精液がより盛んで含蔵されている陽気もまた厚いということになります。ですから後人が右腎を命門とし相火と述べたわけです。

けれども前に弁じたように、右腎だけに相火があると考えてはいけません。腎が静かで常であれば、両精は水温に化します。変動するときは、両精はともに火となって炎熱します。前に焼酎のたとえを引いて詳しく述べたとおりです。虞天民(ぐてんみん)〔訳注:一四三八~一五一七年:《医学正伝》著〕は「水は常であり、火は変です。独り右腎だけを指して相火となるかのように恐れることは、論理がまだ甘いと言わなければなりません。云々」と述べています。《保命歌活》〔訳注:万密斎(一四九五~一五八〇年)著〕に「気はすなわち火であり、火はすなわち気であり、始めは別の意味はありません。自ら流行するものを言うときには気とこれを呼び、気が変化したものを火と呼んでいるのです」と述べています。これは精と火の理を実に深く得た言葉です。下焦の相火は両腎精の中に含寓している気です。気はすなわち陽であり、陽はすなわち火ですけれども、ただ気があるだけで、それが火であることはわかりません。けれどもこれが変動するとき、それが相火であることが明らかとなるだけなのです。







また後世、右腎命門を三焦と臓腑の表裏関係として配当をさせているものがありますが、この説は全くの誤りです。三焦は腎間の原気の別使ですから、腎と三焦とはまさにその気が通じているものです。右腎と三焦とが臓腑として配合されるわけでは決してありません。これらは王叔和の誤りから出て、後人を惑わすこととなったものです。

《難経》に、女子の子宮も右腎命門に繋がると述べられていますけれども、これもまた地気の剛柔の理から推測されているものです。独り右腎とだけ胞を繋ぐわけではなく、子宮は両腎の間に抱えられて、両腎に関与し繋がっているものです。胞の体は胎に従って満ち〔訳注:大きくなり〕、胎が長ずると胞も従って張り、胎がすでに産み落とされたときには胞もまた減少して〔訳注:縮んで〕本のようになります。

孕んで四五月の間は嘔吐しやすいのは、胞が初めて張って下焦の気が逆するからです。六七月の後は嘔逆の患いがなくなるのは、下焦が自らその気に馴染むためです。《霊枢》に『人が生じる始めは精と成ります』と述べられています。ですから腎は人生の本であり、胞は生化の宮なのです。腎と胞の理に昧くして医と言うことはできません。学ぶものは心をここに真剣に刻み込んでください。



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