第五章 命門穴の論




門人が聞いて言いました。十四椎に督脉の命門の一穴があります。《難経》で右を命門としているわけですから、その穴もまた背の第二行の十四椎の右片に一穴だけあるべきなのではないでしょうか。このことはどう考えればいいでしょうか。

答えて言いました。《素問・気府論》では、督脉の気が発するところは大椎以下尻尾および傍らに至るまでの十五穴と述べられています。その法は、大椎 陶道 身柱 神堂 霊台 至陽 筋縮 中枢 脊中 懸樞 命門 陽関 腰兪 長強 会陽を数えて述べているものです。会陽は足の太陽の本穴であり、督脉の気府に数えます。会陽は長強を挟んで二穴あります。他経の気府はすべて二穴のものは二の数にあたります。であれば会陽も二穴として数えると、大椎から会陽に至るまでで十六穴あり、経の言葉と合わなくなります。また会陽を一として数えれば十五穴になりますけれども、それでは他経の例と合しません。ですから《内経》の諸註においてこれを考えても、ここに詳しい註がありません。

そこで私が考えてみました。この命門の一穴はもともと《内経》の時代にはなかった穴なのではないでしょうか。これを除いて数えれば、会陽を二穴として大椎から会陽までで十五穴となり、経の言葉と合います。

そもそもどうして命門の穴が往古にはないかというと、前に弁じたように《内経》で命門と述べているのはすべて両目を指して述べている言葉で、腎に命門という名前をあてることは《内経》ではありませんでした。越人の《難経》で始めて右腎命門という名で呼ばれています。背の十四椎は腎の部です。その腎の部の穴名を命門と呼んでいるのですから、これは明らかに《難経》以降の穴であって、往古の《内経》の時代には無穴であったということがわかります。







門人がさらに聞いて言いました。師が言われている督脉の脊中〔訳注:ママ〕の穴に中枢という名前があります。滑氏の《十四経発揮》で考えると、ここに穴はありません。師は何を根拠として言われているのでしょうか。

答えて言いました。《素問・気穴論》では『背と心とが引いて痛むものを治すところは、天突と十椎です』と述べられています。また《素問・気府論》の王冰次註では『中枢は第十椎の下の節の間に位置します』と述べられています。この十椎に穴があるということは、《気穴論》においてその名を中枢ということと、王冰の註文とが根拠となります。伯仁の《十四経発揮》でこの穴を欠き漏らしているため、これがあることを知っている世人は少なくなってしまいました。けれども妄りに灸をしてはいけません。佝僂にさせてしまうという説があります。



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