《難経》の三焦論





腎・命門・腎間の動気・三焦・原穴という風に一元の気が変化していく大きな流れを、《難経》では見ることができます。これは、主として八難・二五難・三一難・三八難・三九難・六二難・六六難において述べられています。二三難にも一言『中焦』という言葉がありますが、これは、十二経の循行が中焦に始まって中焦に終わるという流れの中で述べられているものです。

このファイルでは、それぞれの難でどのようなことが語られているのか俯瞰し、さらに、三焦論としてくくられるこの一元の気の変化について《難経》では総合的にどのように語られているのかといったことを見ていきます。




第八難 人を樹木にたとえ、その根の部分を、「生気の原」「腎間の動気」「呼吸の門」「三焦の原」「守邪の神」と言葉を尽して讃えています。

第二五難 心主と三焦とは表裏をなし、ともに名前はありますが形はないとしています。

第三一難 上中下の三焦についての詳細な解説と、その府が気街にあることについて述べています。

第三六難 左腎右命門。命門は諸神精の舎る所であり、原気の繋る所であると述べています。

第三八難 三焦は原気の別であり、諸気を主持し、名前はあるが形はない。三焦経は手の少陽であると述べています。

第三九難 三焦は五臓には配当されていないことを述べています。

第六二難 三焦は諸陽をめぐるので陽経には原穴が置かれていると述べています。

第六六難 十二原穴を定め、三焦は原気(臍下腎間の動気・人の生命・十二経の根本)の別使であり、「原」は三焦の尊称であるとしています。その上で、『五臓六腑に病がある場合は、皆なその原を取 』ると述べています。

 

 
こういった、広範囲にわたる三焦の問題を、凌耀星は《難経校注》116ページにまとめています。
 
  1. 手の少陽三焦経は十二経脉の一つである。経脉が循環し流注している過程で、血気は手の心主の脉から手の少陽三焦経に注ぎ、手の少陽から足の少陽胆経に注ぐ。手の少陽の原穴は陽池に出る。

  2. 三焦は六腑の一つではあるけれども、一つの独立した実質臓器ではなく、その形態や大小を述べることはできない。そのため、名ありて形がなく、同時に、その他の五腑が五臓に属するのとは異なるため、『外府』と呼ばれている。

  3. 三焦は形がないと呼ばれているが、名称と部位はある。上中下の三焦にはそれぞれにある範囲がある。これは水穀の道路であり、受納したり、腐熟したり、精濁を分別し伝導して出すという運化の過程がある。これによって化生された精気は全身に提供される。このため三焦は気の終始する所であり、諸気を主るとされる。

  4. 三焦の気がめぐる所には止まる場所があり、これが十二経の原穴である。三焦は原気の別使であり、三焦の原は臍下腎間の動気にある。これをまた、生気の原・呼吸の門・守邪の神と呼び、ここは、十二経・五臓六腑の根本・人の生命の係る所である。
 

 
このような一元の気がその名称を変えていく構造について、《難経鉄鑑》は、その八難で、『師は言われました、「三焦は腎間の動気によって充実します。その状態は、三層の灯篭の一番下の層を大きく燃え上がらせると、その光が三層全体に輝き渡るようなものです。ですから腎間の動気が衰えるときは、上下表裏の虚証がたちまち発生します。この事実から腎間の動気を尊称して、守邪の神と呼んでいるのです。天の気は人に舎り気の中に神を生じさせます。この神が守護するときは、どのような賊邪も人身を侵すことはできません。しかしこの腎間の動気が衰えるときは、この神の守護も強固ではなくなり、病気になります。また、この腎間の動気が絶するときは、神は人身を去っていきます。これが死ぬということです。」』とまとめています。

この三焦論について、しばらく勉強することにします。






2000年 11月19日 日曜   BY 六妖會


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