切診など


ふわふわ感の弁証論治
時系列の問診




◇子供の頃は、偏食で、食が細かったためかなり痩せていた。食べることに興味がなかった。

◇20歳頃 48~50kg







◇25歳で結婚

 子供がほしくて、26歳から不妊治療を始める。
 不妊の原因はご主人にあったのだが、産婦人科の意向もあり、ホルモン剤の投与などをバリバリ行っていった。 60kg

◇28歳 不妊治療から一年半後、出産。

姙娠二ヶ月目 53kg 悪阻がひどくて体重が激減し、その後も食べられずに体重が減り続ける。
8ヶ月くらいから持ち直し出産時には58kgとなる。

悪阻がひどく、出産直前まで食べられず目が回って失神したりするほどだった。

もしかするとこの当時から現在につながるパニック障害のようなものになっていたのではないかと思う。(本人談)

産院での出産を準備していたのだが、ひどい難産(子供が臍帯を二重に巻いていた)で、出血も多く、三日目に病院に移動していざ帝王切開という直前に強いいきみが来て出産に至った。しかし本人はこのときはすでに失神していた。

産後は母乳はよく出、身体が軽くなった感じがして多少元気になった。けれども体調が完全に復調しているとは現在も思えない。(本人談)

3月に出産し、八月~十一月まで三回、高熱を発し寝込んだ。腎盂炎という診断。

また、体重も出産後減少し続け、産後2ヶ月~3ヶ月頃には47kgまで減少。

母乳はよく出ていたのだが、身体が疲れるからということで十一月に断乳する。

断乳後は体重も少しづつ増加し、体調も特に悪いということはなかった。

子供も夜泣きはひどかったが、とても元気だった。







◇31歳

55kg

ご主人が仕事を辞めたいということで、働くことを目的として、リフレクソロジーの学校に通学。3ヶ月くらい。

その後、研修ということでさらに3ヶ月ほど。百人ほどいた研修生が終わる頃には十分の一程度になっていた。吐きながらもがんばって店に出る資格を得るに至る。

店に出て仕事を始めるが、営業終了後も十一時から十二時頃までミーティングや技術のチェックを行い、非常に疲れた。







◇33歳

子供が不安定になり、ご主人の協力も得られなかったので仕事をやめる。

ほっとした。(本人談)

仕事をやめた後から発作が起こり始める。

3月24日 手先鼻尖の厥冷を伴う回転性眩暈で目が覚める。呼吸促迫・嘔気。頭の血管が切れそうな感じ。

通常は低血圧(90前後)だが148まで上がる。

緊急検査:内耳の問題

眩暈は30分ほどで軽くなる。嘔気とふわふわした感じが続く。

4月3日 血液検査、内耳の検査、聴力検査、平衡機能検査の結果が出て、ストレス寝不足などが原因ではないか。とのこと。

ふわふわ感。嗜眠。食事中血の気が引く。手先の厥冷。集中力低下。胸痛。はその後も続く。

4月26日 足浴で息苦しくなる。

4月27日 小柴胡湯 半夏厚朴湯を処方される

5月1日 胸部レントゲン、CT、心電図、血液検査の結果、デパスを処方される。

その後も、朝の胸部痛、息苦しい、ふわふわ感、暑い所、狭いところ、騒々しいところ、高速道路、集中することが辛い。という状態が続く。

6月3日東○病院にてパニック障害であると診断される。初期大量投与(パキシルとメイラックス)にて発作は治まるが、体重が20kg増加し、体調そのものはよくはなかった。(この年の夏には65kg)

また、薬を減らすのに時間がかかる。

この頃から吹き出物ができるようになり、その瘢痕がなかなか消えない。

34歳の11月10日まで。1年半投薬が続く。







◇35歳の9月

再度発作。荏原中延病院。パキシルのみ投薬。量は本人の自由意志に任せられる。

発作で食欲がなく、体重が10kg減少する。

前回治療後減少してきた体重がまた増加してしまう。

37歳昨年の10月まで徐々に薬量を減らしながら服用を続けてきた。

昨年末は絶好調だったが、動きすぎたためか風邪を引く。
風邪は緩解したりぶり返したりしながら経過するうちに、2月頭くらいから花粉症になる。鼻塞のため、しつこく鼻をかんでいた。

3月3日から船酔いのような感じになり、3月5日に来院。







主訴:問診

時系列の問診

切診

五臓の弁別

病因病理:弁証論治

治療方針:生活提言











一元流
しゃんてぃ治療院