慢性疲労の弁証論治:弁証論治・生活提言


慢性疲労の弁証論治
病因病理




この患者さんは大病の既往歴はありません。

ただ、20歳のときに出産して後より、それまでたいして激しくなかった月経痛が時には寝込むほど強いものとなりました。この状態が現在まで続いていることから考えると、これは後産が出切らなかったと考えるよりも、出産による生命力の損傷が回復しきれないまま、産後から子育ての時期の忙しさに突入した事態に対して、肝気を立てて対応したためでしょう。その肝気が空回りして、肝欝状態を起こし月経痛が激しくなったものです。

これは、今回の切診でも明らかになります。

「仰臥位で全身を切診し、腹臥位で背候診をしふたたび仰臥位に戻ると三陰交や太衝の経穴の腫れが消えている。」ということは、三陰交や太衝の反応が非常に強かったことを考えると、非常に珍しいことです。これは、肝気を張った生活姿勢とそれに一生懸命ついてくる身体の有様を表現しているものです。

身体の容量以上に肝気を張ってがんばることができる方なわけですけれども、そこには自ずと限界があるわけです。一時的なことであればなんとかその事態を肝気で乗り切ることはできるわけですけれども、長期にわたると、肝気を緩めて休んで腎気を養うゆとりがないため、主訴である慢性的な疲労感から抜け出せないこととなります。







今回の体調悪化の直接的な端緒は、鍼灸学校に通いながら、家庭の仕事をやり、また研修としてパートで勤めていた、疲労の蓄積があります。35歳で入学し、疲れが蓄積して表面化するのが37歳。腹痛がしばらく続いた後ぎっくり腰を起こしています。この段階で身体は休憩宣言をしているわけですが、たいした治療もせずここを乗り切ってしまいます。乗り切った代わりに出てきたものが、次の主訴、「毎年6月9月に胃痛・腰痛」です。梅雨の時期に体調が低下し、夏をなんとか肝気で乗り切ったと思って、ほっと緩んだ秋に、その本来の疲労が表面化しています。

疲労の蓄積そのものは鍼灸学校卒業後、常勤の仕事を始めることによってさらに増加します。40歳になるとそれは「胃痛・腰痛に全身的なだるさ疲労感」が加わり食欲の低下として現れてくることとなります。疲労が回復することなく続いているため、生命力の大本である胃の気をも抑制する事態になっているわけです。

お身体を拝見して最初に気がつくことは、その腹証です。ことに「腹部全体がべたっとした感じの薄い皮膚」は、まるで慢性虚損病あるいは膠原病の患者さんの皮膚のようでした。そこに「大腹脹満」と「関元緩み脹満感あり」が、まさに虚損病の典型のように乗っています。一見元気な印象を受けるこの患者さんの中心の生命力はかくも損傷されているわけです。







昨年、鍼を受けるようになって、月経周期が調ったのは、仮りの肝欝の部分が晴らされたからであると考えられます。このため月経痛も軽くなっています。

しかしそのため、その夏には夏ばてを起こし、9月からは現在まで続く軟便、日に数行という状態となります。これは、生命の形を仮に支えていた肝気が立ちにくくなり、なんとか肝気を立ててその日常生活を送っているものの、脾の支えがいよいよ弱くなっている状態を示しています。

マッサージや鍼でだるさが軽くなるということは、肝欝の空回りの部分が晴らされたためです。これに対して生命力の本体である脾腎は、肝気という元気の仮面を失って、その損傷された本体を表面化させているのが現在の状況となっています。







現在ではまだ基本的な生命力の器が破損されてはいませんので、この大きな虚損の状態が疾病としては表面化していません。このため西洋医学的な検査でも何も出てこないでしょう。

けれども、この生活状況を続けるなら、いつか堤防が決壊するように生命力の器が破損されて、大病となる可能性があります。

生活状況にすでに生命力がついていっていない状態ですから、なんらかの休息を入れる、生活状況を変化させていま少し肉体的・精神的に楽な環境に身をおくということが必要です。

ただ、このように肝気を限界まで張って生活している場合、気を抜くとかえって疾病が表面化してくることがあります。少しづつ心身を慣らすようにフェードアウトし、生命力の器の範囲内で生活できる状況を作り出すことが必要です。







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